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 ラブレターを手に頬を染めながら「好きです」なんて、まるで映画か漫画のひとコマがそのまま現実に飛び出してきたみたいな光景だ。まして、そのラブレターを受け取る男が男である。
 湘北高校バスケットボール部一年、流川楓。イケメンとかハンサムとか、そういう手垢のついた安っぽい形容詞では言い表せないほど整った顔に、日本人離れした体躯。そのうえバスケの才能まで群を抜いているのだから、世の中というのはつくづく不公平である。
 三井がそんな男の青春のひとコマに居合わせてしまったのは本当にまったくの偶然からで、決してさもしい野次馬根性から覗きを働いたのではない。
 偶然流川と帰宅時間が重なって、部室から駐輪場までの短い道のりを二人で歩いていた。どうせだからたまには夕飯でもおごってやろうと思い、相変わらず居残りのリハビリ兼基礎練習に精を出している桜木には内緒でラーメン屋に連れて行く約束をしていたのだ。
 べつに、流川だけを贔屓して特別に可愛がってやろうなどと思ったのではない。流川のほうにだって、三井に可愛がられようとか気に入られようという気概はまったく感じられなかった。ただ単に、桜木や宮城だけでなく、流川にもたまには先輩らしいところを見せてやらねば、という、なかば義務感から出た行動である。秋季国体ではともに神奈川県選抜に選ばれているから、それまでに少しでもこの掴みどころのない後輩のことを知っておきたいという気持ちもほんのすこしあった。
 くだんの女子生徒は、屋根付き駐輪場の奥にひっそりと佇んでいた。
 不意打ちにぎょっとしたのは三井のほうで、流川は相変わらずの仏頂面のまま、近付いてくる女子生徒にも構わずスポーツバッグの底を浚っていた。自転車の鍵が見つからなかったものらしい。
そんな流川の無関心な様子にも、隣に立つ柄の悪い上級生の存在にもめげず、女子生徒は果敢に口火を切った。流川クン、ずっと好きでした。これ読んでください。と、そんな具合に。
 その女子生徒は結局、自転車の鍵に負けた。
 流川は終始スポーツバッグから視線を動かさず、口にした言葉と言えば「いらねー」と「そこどいて」のたったふた言だ。自転車の鍵はなかなか見つからず、女子生徒は無言のまましばらくそこへ立っていたが、最後には根負けして泣きながら去っていった。
 と、そんなあらましがあったものの、二人は当初の予定通りラーメン屋へ入った。壁際に据えられた狭苦しい二人掛けのテーブル席を陣取り、アルバイトの若い男性店員へ声をかける。
「チャーシュー麺ふたつ、ギョーザと半ライス付きで」
「半じゃなくていい」
「……図々しい奴め」
 そう悪態をつきながら、結局、追加で半炒飯を付けてやった。その気遣いに一言の礼もないのだから、つくづく可愛げのない後輩である。
 その後は会話らしい会話もないまま、注文の品は五分と待たず運ばれてきた。狭苦しいテーブルを、主に流川の頼んだ品々がぎゅうぎゅうに埋め尽くしていく。
「いただきます」
 割り箸をぱちんと割りながら、流川が律儀に言った。その仕草に世間擦れしていない年下の可愛げが滲んでいて、ちょっと絆される。絆されているうちに流川はチャーシュー麺に取りかかっていて、気付いたときにはもうその器から麺がすっかりなくなっていた。
 流川の食事風景には一見の価値がある、と三井は思う。
 霞でも食べて生きていそうな浮世離れした風貌と、いかにも俗っぽい食べ物であるラーメンの取り合わせがまず愉快だ。そのうえ、一度に食べる量が尋常ではない。もっと食べていいぞ、と言ったら、おそらく替え玉の三つや四つは軽く平らげるのではないだろうか。ウェイトがものを言うスポーツでは、よく「食えるのも才能のうち」などというが、自分の胃袋の平凡さを痛感するにつけ、まさしくその通りだなとしみじみ納得してしまう三井である。
「……ほんとによく食うよな、お前」
 三井が言うと、流川はギョーザを咥えたまま「うす」ともごもご言った。流川はこれで案外律儀な男で、あいさつや敬語は忘れても、返事だけは不思議と欠かさないのである。
 あくまで自分のペースを守りながらチャーシュー麺をすすっていた三井は、自分のギョーザの皿を流川のほうへ寄せ「これも食っていいぞ」と胃のあたりをさすりながら言った。
「まだ食えんだろ? 俺、もう限界」
「うす」
 その眠たげな目がなんとなくきらきらと輝いているように見えて、それがなんだか妙に可笑しかった。女子生徒からの告白をあれほど冷ややかに断った男が、たったのギョーザ一皿で目を輝かせている。色気より食い気、とはこのことだ。
「……手紙くらい貰ってやりゃあよかったのに」
 うまそうにギョーザを頬ばっている流川を、行儀悪く頬杖をついて眺めながら言う。流川は一瞬怪訝そうな顔をして三井を見たあと、そのちいさな頭をかくんと傾げて困惑気味に尋ねた。
「手紙?」
「さっき駐輪場で渡されてたろ。もう忘れたのか?」
 三井が呆れ半分に返すと、流川もようやく「ああ」と合点がいったように頷く。
「いちいち貰ってたらきりがねー」
 流川はそう言いながらまたギョーザを口に放り込み、心底うんざりとしたような顔で続けた。
「それに、読まなくても大体わかる」
「なにが?」
「書いてること。カッコいいとかステキとか、くだらねーことばっか」
 吐き捨てるようにそう言うなり、真っ直ぐ切れ上がった眉をぐぐっと寄せて不機嫌そうな表情を作った流川は、半炒飯に手を付けながらチャーシュー麺のスープを飲み、ギョーザを一切れ口に放り込んだ後、それらを押し流すように半ライスを勢いよく口に詰め込んだ。
「くだらなくはねえだろ」
 苦笑気味に反論すると、切れ長の黒い瞳が恨めし気に三井を見返してくる。
「じゃあ先輩はうれしーんすか。知らねー女にカッコいーとか言われて」
「そりゃあ、まあ、嬉しいだろ。褒められてんだし」
「……へえ」
 その返事がまるきり三井を小馬鹿にしていて、すこしばかり鼻白んだ。
「じゃあよ、逆に、なんて言われたら嬉しいんだよ」
 壁に寄り掛かって腕を組み、言ってみろと顎をしゃくる。流川はぱちぱちと目を瞬き、不思議そうな顔で三井を見た。彼にとっては意外な質問だったらしい。
「なんて言われたら、って……」
「なんかあんだろ。好みの女の子にこういうこと言われたらイッパツで落ちんなー、っつうひと言」
 そう言いいつつも、まともな答えなどは端から期待していなかった。まずもって、流川に好みの女の子という概念があるかどうかも怪しい。
「好みのタイプとか、そういうのもねぇわけ?」
 案の定流川は、まるで英語かフランス語かスワヒリ語か、とにかくなにか理解の及ばない言語で突然話しかけられたような顔をし、よくできた人形のように固まっている。
「……流川よぉ、俺ァ、お前の将来が心配になってきたぜ」
 呆れ半分感心半分で、眼前の逞しい上腕を叩く。初心もここまでくるといっそ尊敬に値するような気がしてきた。
「将来お前がNBAに行ってよ、大スターになって、ハイエナみてえな女子アナとかアイドルなんかにコロッと既成事実作られちまって、ふと気付いたら電撃結婚――なんてさ、そんなことになったら俺は笑うに笑えねーよ」
 実際問題、現実にありえそうなことだから恐ろしかった。
 高校生の惚れた腫れたなんていうのは、下らないお遊びだと三井も思う。どこに出しても恥ずかしい不良少年だった頃、惚れた腫れたの甘酸っぱい恋愛を経験するより先に性欲先行のセックスを知ってしまった。愛とか恋とか、そんなものがなくとも勃起はするしアソコは濡れる。すべきことをせずにやることをやれば子供ができて、一枚の紙切れにハンコを押して役所へ行けばもう結婚だ。
 と、そんな夢のない大人にならないための下らないお遊びなのだと、三井は思う。ままごとみたいな恋愛を繰り返しながら、時々は手痛い失敗もして、他人を見る目を養い、ちょっとずつ夢と現実に折り合いをつけてゆく。今日の彼女だって、いつか流川のことは美しいだけの思い出にして、流川とはまったく似ても似つかない、けれど彼女にぴったり似合った男と結ばれる日が来るはずだ。
 そんな感傷めいた思考に浸っていた三井を、流川の不機嫌そうな鋭い視線がちくちくと刺した。
「先輩こそ、むさくるしー男にばっか囲まれて、ダイジョーブなんすか」
「はあ?」
「女、寄り付かねーでしょ。イッショー独身かも」
「……お前、言うねェ」
 ぐぬ、と唸った三井に、流川はすっかり勝ち誇ったようなしたり顔である。流川に憧れ、愛だの恋だのと浮かれる少女たちはきっと知らないだろう小憎たらしい顔だ。
けれどこういうときの流川は、これでけっこう可愛いところがあった。この顔をして桜木と馬鹿みたいな意地の張り合いをしているときなどは、この人並外れた天才もまだ十五歳の子供なのだな、と、素直にそう思えるのだ。
 この可愛げと負けん気がなかったら、三井はきっと流川のことを一生かかっても認められなかっただろうと思う。あいつはバスケをするためだけに作られたサイボーグかなにかで、自分とはまったく別種の生き物で、一生かかっても追いつけない本物の天才で、と過剰なほど卑屈になり、遠ざけ、なにかを教えてやろうとか面倒を見てやろうとか、そんなふうには少しも思わなかったに違いなかった。その素直さやひたむきさ、ときに危なっかしいとさえ感じるほど頑なな負けん気に目を向け、理解してやろうとする気になどならなかったはずだ。
 考えれば考えるほど己の器の小ささに悲しくなるが、その事実に向き合えるようになっただけマシだと、いまは素直にそう認められる。こと湘北高校バスケ部に限って言えば、流川を一番理解してやれるのは自分なのではないかというちょっとした自負さえあった。
 赤木も宮城も、いまではあの桜木もそれぞれに優れた資質を持った選りすぐりのプレイヤーだが、彼らはみな持たざるものの立場から這い上がってきた側の人間だ。ゴール下以外ではてんで使い物にならなかった赤木。卓越したバスケ脳と個人技を持っているのに、小柄な体のせいで侮られがちな宮城。ド素人の退場王だった桜木。彼らはそうした実力不足やハンデを努力と反骨心で克服し、這い上がってきた人間たちだ。
 けれど三井は違う。反骨心を剥き出しにして這い上がってきた男に、まんまと追い落とされてしまった側の人間だった。
 昔から勉強も運動も器用にこなして、背が伸びるのも早く、いつだってチームの中心的存在だった。誰よりも巧かった。みっちゃんは天才だから、と、いつだって別次元にいる憧れの的のように語られてきた。
 けれど、三井だって人一倍努力をしてきた。
 バスケが好きだったから、必死に試行錯誤をして理想のフォームを身につけ、誰もいないコートで何時間も反復練習をした。戦術の勉強もした。NBAの試合を何本も録画して、テープが擦切れるほど繰り返し観た。チームメイトのレベルを上げようと、毎日の練習メニューだって考えた。彼らの理想のエースでいるために、コートの中では決して弱音を吐かないと決めた。
 その当たり前以上の努力に、一体誰が目を向けてくれただろう。
 等身大の自分を見てもらえない苦しさに、一体誰が寄り添ってくれただろう。
 思い描いたプレーを実現できない苛立ちに、一体誰が気付いてくれただろう。
 圧倒的な潜在能力を持った同級生に追いつかれまいとする焦りに、早熟だったがゆえに伸び悩む自身の能力への失望に、誰が。
 そんな出口の見えない渦のような雑念が、結局、膝の怪我という形で三井の心身を食らいつくした。結局は自分の弱さが招いたことだし、それをいまさら人のせいにはしない。けれど、いまの自分があの頃の自分になにかひと言でも言葉をかけることができれば、きっとあの二年間の遠回りは存在しなかったのではないかとも思ってしまう。
 そう思うから、不要なおせっかいと分かっていても、ついこの危なっかしい天才少年を放っておけないのだ。贔屓とか特別扱いとかでなしに、桜木や、ほかの一年坊主たちと同じように扱ってやりたくなる。いらぬ先輩風を吹かせて、年上らしく説教のひとつでもしてやりたくなるのだ。
「俺のことはいーの。……お前が俺みてーなヤワな男じゃねえってのは知ってるよ。でもさ、バスケ以外の居場所もちゃんと見つけとかねえと、いつかどーしようもなくしんどくなるときが来ると思うぜ」
 背中を丸めて頬杖をつき、すっかり冷めてしまったラーメンのスープをぐるぐるとかき混ぜながら呟く。流川は浮かべていた得意げな笑みを引っ込め、きゅっと眉を寄せて怒ったように三井を見た。
「先輩だってヤワじゃねーっしょ」
「ヤワだからグレたんだろ」
 言わせんな、と笑い、水面に浮き上がってきたメンマをつまむ。すっかりしなびしまっていて、あまり旨いとは言えなかった。顔に苦笑を浮かべたまま細切れになった麺を拾っていると、唐突に、別の箸が三井の器へ侵入してくる。
「ヤワじゃねー。馬鹿なことばっか言うな」
 そう言いながら、流川がぐるぐると三井のスープを混ぜた。器の中に先ほどとは反対向きの渦巻きができて、食べ損ねていたナルトが一枚ぷかりと浮かび上がる。やるよ、と箸でつついてやったら、流川は「アンタが食え」と居丈高に言い、その真っ黒な両目でじっと三井の顔を睨んだ。
「俺たちは強い、んじゃねーの」
「……そうだよ」
「じゃあアンタもヤワじゃねーっしょ」
 決然と言い放たれたその言葉に、つい気圧されてしまう。だいいち、ついさっきまで三井をしたり顔で腐していたくせに、どういう風の吹き回しでこんなことを言い出したのか、さっぱり理解が追い付かなかった。
「お、おう」
「そんで、またラーメン奢って欲しーっす」
「……てめー、それが狙いか」
 しかめっ面から続けて放たれた脈絡のないおねだりに、三井の肩ががっくりと落ちる。まんまとおだてられるところだった。
「大盛じゃなくてもいーんで」
「うるせー、馬鹿」
「ギョーザもなくていい。フツーのラーメンだけでいいから」
 流川のおねだりはかなりしぶとく続いた。最終的に「もうなんでもいーっすから」というところまで来てしまえば、三井の意地もとうとう持たなくなる。なんというか、抗えないのだ。流川が普段、滅多なことでは人に頼みごとをしない男だからというのもあるし、そのとんでもなくうつくしい顔面にじっと見つめられてしまうと、じつはこちらから拝み倒して「是非ともワタクシめにラーメンを奢られてください」とでも言うべき貴重な機会なのではというような気すらしてくる始末である。
「……わぁったよ、ラーメンな。いいよ、もう、好きにしろ」
 結局、三井が折れる格好になった。流川の瞳が歓喜に輝く。
「どあほうは抜きで」
「はいはい」
「宮城先輩も抜き」
「はいよ」
「俺と三井先輩だけ」
「……お、おう」
 なんだか雲行きがおかしいぞ、と訝りながらも頷いて尻ポケットから財布を取り出し、そこから千円札を三枚抜いた。両親が共働きで不在がちなので、食費と称した小遣いだけは潤沢に支給されているのがせめてもの救いである。そうでなければ、誰がこの万年欠食児童にメシなど奢ってやれるものか。
 なにはともあれ流川に先輩風を吹かせるという当初の目的は達成したわけで、そのうえ流川はじつに嬉しそうに奢られてくれたわけで、三井としてはまあまあ満足のいく放課後になったと言っていいのではないだろうか。内心で首を捻りながらもそう結論づけて席を立ち、暖簾をくぐる。
「後ろ、乗っていーっすよ」
 表に停めていた自転車の鍵を外しながら、流川が言った。すまねぇな、と、この鍵に負けた名も知らぬ女子生徒のことを思う。流川とのニケツなんて、女子ならば誰もが憧れる垂涎モノのひとときだ。
「……なんだかなあ」
「なに?」
「いや、こっちの話」
 そう返しながら流川の肩を叩き、自転車の後輪に跨がる。昔よく乗せてもらった大型二輪のタンデムシートに比べれば、乗り心地は当然悪い。けれど、これが高校生らしい青春のあり方なのだと思えば、そう悪いものではないような気もしてくる。
「寝るんじゃねーぞ」
「ダイジョーブ。……たぶん」
「多分ってなんだ、おい」
 こうして、三井と流川の奇妙な日課がはじまったのだった。

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