はじめは、スマートフォンが故障したのだと思った。
通知領域に、次から次へとメッセージがくる。今朝もひっきりなしに鳴り響く通知音で目が覚めた。身に覚えのない時間に叩き起こされた流川は、アラームなんぞかけた覚えはない、と時間を確かめようとスマートフォンを手に取って、その怒涛のような通知の数に愕然としたのだった。
電子機器に疎い流川は、通知音の消し方さえ分からず途方に暮れながら、通話履歴の一番上にある番号を押した。
三井寿。
高校の先輩で、流川が帰国してからは日本国内の同じプロバスケットボールチームでプレイする同僚でもある。
『――おう、流川。どうした?』
文字にすればじつにぶっきらぼうな物言いだが、その声音には神妙な気遣いが溢れていた。
流川は滅多に自分から電話をかけることがない。だから、なにか緊急の事態が起きたか、重大な相談事があるとでも思ったのだろう。緊急には違いないし、相談事で間違いはないのだけれど。
「なんか、スマホがおかしいんすけど」
『……はあ?』
「ずっとぴろぴろ鳴ってる……」
電話口にそう告げると、スピーカーの向こうから深いため息が聴こえた。
『お前、おどかすなよ……そんなのはマネージャーか携帯ショップのおねーさんにでも聞けっての』
「昨日最後に俺のスマホ触ったの、先輩でしょ。なんかしたのかと思って」
『なんもしねーよ』
憮然としたその答えに、流川もむっとしながら「うそだ」と返す。
昨日はオフシーズン休暇前のミーティングが球団事務所であり、その帰りに三井と二人で焼き肉を食べに行った。その席で、三井に一度スマートフォンを貸したはずだ。
写真の撮り方を教えてやるとかなんとか言われて、はじめはちゃんとレクチャーの体を取っていたのが、そのうち三井が勝手に流川の顔や自分の顔を撮影しはじめたので、面倒臭くて放っておいたのだ。
それで、起き抜けのあれだ。
『嘘じゃねーっての』
「でもずっとぴろぴろ鳴ってる……」
『ぴろぴろ、って……お前の説明じゃちっともわかんねーよ』
「じゃあ見て」
『いいけど、じゃあお前、昼メシ奢れよ』
「わかった」
『いま出先だから、用が済んだらそのまま車でお前んち寄るわ。昼前には行くから』
じゃ、と電話が切れる。
放り出されるように訪れた静寂と、間髪入れずそこへ割り込んでくるひっきりなしの通知音に心底辟易とした。
せっかくのオフシーズンだというのに、結局はチームメイトである三井と毎日のように顔を合わせている。自主トレに行けば会うし、ミーティングに行けば会うし、昔の知り合いに呼ばれて出向けば会うしで、いっそ高校時代よりずっと長く彼と時間を共にしているような気さえしていた。
実際、三井との思い出はそう多くない。
学年が二つも離れていたし、三井の隣にはたいてい宮城か桜木がいて、いつなんどきも騒がしかった。単独行動を好む流川がコート外で積極的に彼らとつるむことはなかったし、三井のほうも、口ではやれ生意気だの先輩を敬えだのと言いながら、そんな流川と無理矢理人並みのコミュニケーションをとろうとしたり、先輩ぶってお仕着せのルールや集団行動を強要するようなことはついぞなかったように思う。
そんなことをしなくたって、ボールを持ってコートに入れば、それで充分だった。
流川がどれだけ不愛想で生意気で可愛げが無くて協調性のない後輩でも、ひとたびコートに入れば、流川が誰より熱く勝利を望んでいるプレイヤーであることを、誰より執念深くゴールを狙っているバスケットマンであることを、言わずともちゃんと分かってくれた。
バスケットマンに戻ってからの彼は、流川が生意気だとか気に入らないだとかいうくだらない理由で、流川のバスケを台無しにするような人間じゃなかった。
欲しいときに欲しいパスをくれた。
パスをしたいときに、パスを出したい場所にいてくれた。
特別な言葉はなにもいらなかった。
そういう高い次元でバスケをできる相手だった。
だから、三井とバスケをするのは好きだ。
三井のバスケも好きだ。
高校時代には不必要だと思っていたコート外での交流だって、いまは別に嫌いじゃない。
同僚になってはじめて気付いたのだが、三井はその過去からすれば意外なほど、派手な遊び方をしないタイプだった。
アメリカでも日本でもそうだが、たいていどのチームにも一人は必ず派手な夜遊びを好み、流川をそうした場へ連れ出そうとする輩がいる。ナイトクラブや芸能人とのコンパ、果てはいかがわしいクスリやセックス付きのパーティーと、ネームバリューがあって見目も抜群によい流川は、そうした場への誘惑が人一倍多い。ひどいときには、選手だけの食事会だと称して呼び出され、店に入ってしまってから騙されたと気付くこともあった。
三井は、そうした誘いには断固として乗らない、数少ない選手のうちの一人だった。いわく「高校んときにもう一生分遊び尽くしたから」とのことだが、相手がしつこく、口下手な流川が断りきれずにいると、代わりに上手く煙に巻いてくれることまである。
そうなると、コート外でも自然と三井と行動を共にすることが増えた。
三井と食事に行けば、話題はたいていバスケか地元の仲間たちのことだ。彼女がどうとか、車や時計がどうとか、そういう煩わしい話題に苛々させられることもない。
だからだろう。コートの内外を問わず、意識するより先に、三井の隣に立っている自分がいる。
三井といるのは、別に、嫌いじゃない。
――先輩、まだかな。
そんな言葉が頭を過る頃には、もう、スマートフォンの通知音のことなどすっかり忘却の彼方にあった。
■
流川がその活動拠点をアメリカから日本へと移し、はや一年が経とうとしていた。
きっかけは、一昨年のNBAファイナルの試合中に、接触プレイからの転倒で右膝を負傷したことだった。
幸い長期的な治療が必要なほどの怪我ではなく、また、最初で最後かもしれないファイナルMVP獲得のチャンスを逃すつもりも毛頭なく、流川は出場を強行した。念願叶ってチャンピオンリングとファイナルMVPを獲得した流川は、バスケットボール選手として、名実ともに世界の頂点に立った。
夢が叶ったのだ。
幼い頃から焦がれ続けた夢の舞台で活躍し、とうとうその頂点に立った。
けれどそれは、スポーツ選手ならば誰しもに訪れる「引退」という二文字を、流川にはっきりと突き付ける契機ともなった。
痛みはなくなったものの、しこりのように残り続ける右膝の違和感。叶ってしまった大きすぎる夢。思うようにならない体調やモチベーションと反比例するように加熱する熱狂的な報道。望まないメディアへの露出。ひっきりなしに鳴る電話。
その年、流川は二十八歳になっていた。
引退には早すぎる、選手としては最も脂の乗った年齢だが、けれど、引退の二文字が必ずしも遠いものとは言い切れない年齢でもある。活躍の場に恵まれぬまま自分自身に見切りをつけてコートを去っていった同期や、現役の続行を望みながらも、若手の台頭に押され、引退後のセカンドキャリアへ目を向けはじめた同期も多い。
バスケを辞めるつもりはない。辞めたいと思ったこともない。
バスケ以外にしたいことも、できることもない。
けれど、脇目も振らずに走り続けてきた長い山道をとうとう登りきり、ずっと睨み据えてきた高く険しい山の頂きに立って、ふっとその視界が開けた瞬間、流川は、その足をどこへ踏み出したらよいか分からなくなってしまったのだった。
この先に道はない。
超えるべきハードルも無い。
ここがてっぺんだからだ。
自分で自分の行く先を決められないなど、生まれてはじめての経験だった。
そんなとき、ふと頭に過ぎったのが、彼の顔だった。
――安西先生、バスケがしたいです。
そう言って人目も憚らず顔を歪め、ぼろぼろと涙を流してみせた男。左膝を壊し、一度はバスケを捨てた男。誰よりもバスケを愛しているくせに、一度は誰よりもバスケを憎んでいた男。
そのくせ、流川の知るなかで最もうつくしいスリーポイントシュートを打つ男。
いつまで経っても使い慣れないスマートフォンに保存された、かけたことのない電話番号。かける予定もなかったのに、消すことだけはしなかった。あの夏を共にしたメンバーの番号は、何度携帯を変えてもずっとアドレス帳に残してある。
――三井寿。
人伝に、彼がまだプロ選手としてバスケを続けていることは知っていた。
西日の差す部屋に一人で座り込み、その名前に触れ、番号に触れた。三井は七コール目にようやく電話をとり、それから、一晩中話をした。日課にしているという早朝のランニング中に電話を取ったらしい三井は、結局、その日の予定をすべて取りやめて半日も電話に付き合ってくれた。
三井はほとんどなにも言わなかった。
無責任な慰めも、叱咤も、同情も、心配もせず、ただ黙って話を聞いてくれた。ときおり挟まれる短い相槌に、過度ないたわりや作為めいた明るさは一切感じられなかった。
最後に二人で少しだけ昔話をした。
そして流川は、日本へ帰ることを決めた。
やり残したことがまだひとつあることを、思い出したのだった。