たとえばの話

「別れよう」
 そう言われて驚きも嘆きもしなかったのは、言った本人の顔にまったくと言っていいほど真剣さがなかったからだ。
「――って、もし俺が言ったら、どうする?」
 ジェームズは案の定、冗談めかした調子でそう続けた。たちの悪いたとえ話だ。サムは飲んでいたミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫へ戻し、ダイニングテーブルで遅い朝食をとっているジェームズを見た。
「どうって……泣いて縋ってほしいのか?」
 そう返し、哀れっぽい声をつくって「捨てないでジェームズ!」と続ける。その傍ら食器棚からスープボウルを取り出し、チョコレート味のシリアルをざあざあと流し込んだ。上からたっぷりとミルクを注ぎ、大きなスプーンでざくざくと混ぜる。
「逆にさ。俺が別れようって言ったら、あんた、どうすんの」
 シリアルを混ぜながらジェームズの向かいに腰掛け、ひとくち目を頬張る前にそう聞いた。
「どうしよっかなあ」
 問われたジェームズは、一目見て焼きすぎだと分かる目玉焼きをつつきながら頬杖をついた。その表情には相変わらず真剣味がない。サムにもなかった。
 サムがもしあと二十歳若かったら、なんでそんなことを言うんだ、と、むっとしながら食ってかかったかのもしれない。あるいは、なにか至らないところがあったかしら、と不安に思ったのかもしれない。けれど、実際にはそうはならなかった。サムもジェームズも、もしもの話で泣いたり喚いたりするほど若くはない。
「あんたが言い出したんだろ」
 半分呆れながらそう言うと、ジェームズも呆れたような顔で「だって、お前が全然驚かないから」と返した。
「驚かせる気もなかっただろ」
「まあな」
「……で、どうすんの」
 俺が別れようって言ったら。
 冒頭の問いに対する意趣返しのつもりで、逸れかけていた話題を蒸し返す。するとジェームズは、考えこむようなそぶりで眉を寄せ、ふとベランダのほうへと視線を動かした。
「とりあえず、そっから飛び降りるかな」
「そっからって……飛び降りたところで、あんたならなんともねえだろ」
 サム達の住む部屋は三階にある。ここから飛び降りたところで、一般人でも骨折程度で済むような高さだ。
「そうなんだよなあ」
 だから、俺を捨てないでくれよ。
 ジェームズは相変わらず焼きすぎの目玉焼きをつつきながら、視線だけはじっと窓のほうを見据えてそう言った。
「話が見えねえんだが」
「いや、つまりだ。死にてえと思っても、簡単には死ねねえ体だからさ」
 窓からサムへ視線を移し、ジェームズが困ったように笑う。
「……なるほどね」
 それ以外の言葉が見つからず、サムはとりあえず目の前のシリアルを口へ運んだ。ふやけたそれを黙々と噛みしめながら、ジェームズの真意を探る。探ってはみたが、真意もなにも、どう考えてもこれはある種の脅しだった。
 サムと別れたら死ぬ、と、ジェームズは遠まわしにそう言った。
 もし別れたとして、実際にはお互い泣きも喚きもしないだろうし、もちろん、突発的に死のうとしたりもしないだろう。けれどそれは、歳や経験を重ねたことで得た立場や体面、分別などという重りが、その体を地面に縛り付けているからだ。
「……熱烈だな」
 なんてことのないように肩を竦めてそう言いながら、サムも、窓に向かって駆け出す自分の姿を想像した。あるいは、ナイフか銃口を自分に向かって突き立てる姿を。どこまでも荒唐無稽で、馬鹿げた想像だ。
 けれど、この歳になってそういう恋愛をするのも、悪くはないのかもしれない。と、そう思った。

END