言うなれば、魔が差した、というやつだった。
三井は普段、流川が出ているテレビ番組とか、雑誌とか、そういうものはあまりチェックしないほうだ。月刊バスケットやトレーニー向けの専門誌なんかに載っている特集記事には目を通すこともあるが、女性向けの週刊誌とかファッション誌とか、バラエティ寄りの密着番組とか、そういった類はほとんど素通りだった。
どんなテーマであるにせよ仮にも恋人である男の話題が取り扱われているのだから、三井とて興味がまったくないというわけではない。ないのだが、けれどいざ手に取ろうかという段になると気恥ずかしさが勝ってしまって、雑誌の類いは特に、これまで一度も買えた試しがない。テレビ番組なんかは時間が合えば観ることもあるが、わざわざ事前に放送予定を調べて録画予約、となるとやはりこれも気恥ずかしくて駄目だった。
重ね重ね、興味がまったくない、というわけではないのだ。野暮天もいいところだった高校時代から流川楓親衛隊なるファンクラブがあったほどの、いわば原石の状態であれだけの引力を有していたあの美貌が、プロの手で一体どんなふうに化けるのか。気にならないと言えば嘘になる。
しかし、だ。
まずもって高校時代に出会って以来、恋人として過ごした時間より、ただの先輩後輩だった時期のほうが長い二人である。いまさら元々あった関係値をリセットして甘ったるい恋人同士の距離感を演じるのも自分達らしくない気がして、ゆえに三井は流川の持つ類稀な美貌へ言及することを、これまで意図的に避けてきたきらいがあった。
顔かたちのことだけでなく、髪型や服装についてもそうだ。やれ髪を切っただの服が似合ってるだの、そんなことを口に出して褒めてやったことは多分一度もない。同様に三井のほうだって流川から容姿や身なりを褒められたことはないが、女じゃあるまいしと、それを不満に思ったこともなかった。
照れ臭い。
気恥ずかしい。
らしくない。
付き合いが長いおかげで気安く言い合える事柄もあれば、同じだけ気安く口に出来ない事柄もあるものである。
そういう事情も手伝って、三井は流川の恋人という立場にありながら、そこら辺にいる流川ファンの女性たちよりよほど彼のメディア露出に疎いのだった。
「――だからって、なあ」
その夜三井は、自宅のダイニングテーブルで頬杖をつき、ため息まじりにノートパソコンのモニターを眺めていた。
モニターに映っているのは、某有名通販サイトの商品詳細ページである。カーソルは「カートにいれる」のボタンのうえに置かれており、三井はプライム会員なので、お急ぎ便で頼めば遅くとも明後日には到着するはずだ。カートの中にはすでにトイレットペーパーやミネラルウォーター、洗濯用洗剤の詰め替え用ボトルなんかが入っていて、せめてこちらだけでも今日中に注文してしまいたいところだった。
「これはなあ……」
ちょっと、欲しいよなあ。
そんなふうに独り言ちて、冷めたコーヒーを啜る。
『オトコのハダカ特集・流川楓』――商品詳細ページにはそんなキャッチフレーズが躍っていて、その下には『流川楓、全世界待望の人生初セミヌード』と、下世話なゴシップ誌の袋とじみたいな煽り文句が控えめに書かれている。三井にとっては恋人と言う以前になにかと手のかかる後輩でもある流川楓の名前と、いかにも男の欲望に直結したイメージのセミヌードという単語があまりにもミスマッチでちょっと可笑しい。しかも全世界待望とくれば、これもなかなか大きく出たものであるが、この特集が決まったときの世間の熱狂ぶりを思えば大袈裟とも言い切れないのが余計可笑しかった。
そしてなにより目を惹くのが、その九割近くを肌色で占められている表紙のサンプル画像である。この画像をはじめて見たとき、三井は冗談抜きで三十センチほど跳びあがった。
なにせ、セミヌードである。
濃いグレーの背景をバックに立つ流川は、裸の上半身を猫背気味に丸めて首筋に手を添え、どこか気怠い感じをその佇まいに滲ませていた。一糸まとわぬ姿の上半身はなぜかうっすらと湿り気を帯びており、ぱつんと張った大胸筋、斜めの筋が浮きあがるほどストイックに引き締められた腹斜筋のラインから六つに割れた腹直筋、ゴツく盛り上がった腸腰筋と続き、そこから下はあと少しで見えてはいけない部分が見えるか見えないかというギリギリのラインで意味深に隠されている。
そして極めつけはやはり、アンニュイに伏せられた美しい横顔だろう。
正面のカメラから目線を逸らすように伏せられた横顔は、長い前髪でその半分近くが覆い隠されている。上半身同様、首からうえもやはり入浴後のような湿り気を帯びていて、どことなくベッドイン前後のシャワータイムなんかを連想させるような、そういう類の淫靡な雰囲気があった。
濡れた髪の隙間から僅かにのぞく鋭い目尻の切っ先と、繊細な造りをした高く細い鼻梁。つんと尖った鼻先に、無駄な余白の一切ない顎のライン。つるりとした白い肌にはシミひとつない。
パーツのひとつひとつが端正かつ小振りで、全体的には中性的とも少年的とも言えそうな雰囲気の顔立ちなのに、首から下はその気のない男が見ても惚れ惚れするような、彫刻のごとき肉体美を誇っている。アンバランスだが、けれどそのアンバランスさこそが奇妙な調和と色気を生んでいるという感じだ。
三井は思わずごくりと唾をのんで、そろそろとマウスに手を伸ばした。
が、しかし。
「……でもなあ」
伸ばした手を引っ込め、煩悩を振り払うように頭を振った。
正直に言えば、欲しい。
めちゃくちゃ欲しい。
これ未成年に売っていいのかよ、と突っ込みたくなるような、かなり際どい感じの雰囲気の写真ではあるものの、漫画雑誌に載っている男性向けグラビア写真などとはまた違った趣というか、芸術性があるのも確かだった。表紙でこれなのだから、中はきっともっと強烈な写真のオンパレードだろう。情報が解禁された時点で話題沸騰、発売前から重版決定、全国の書店という書店、コンビニというコンビニに問合せが殺到したというだけのことはある。
しかしいざ購入して手元に置くとなれば、この雑誌を自宅の本棚で保管することになる。三井にとっては、それがなにより気恥ずかしいのだった。
三井と流川が付き合いはじめてもう一年以上経つが、住まいはいまだ別々に構えている。流川のほうがすっかり有名人になってしまった手前大っぴらに外で会うわけにもゆかず、デートの場所はもっぱら互いの家だ。頻度としては三井がアポイントを取って流川の家へ訪ねて行くことのほうが多いが、仕事帰りの流川が不意打ちのように突然訪ねてくることもままあった。
そうなると、買った雑誌をどこへ置くかが問題になる。
本来なら、べつに、堂々と見せびらかしたっていいのだ。むしろワザと目につくところへ置いて、嫌がる流川を――まさにこの雑誌の仕事を受けるか受けないかでマネージャーと熾烈な攻防戦を繰り広げていた彼の、大変迫力のある不機嫌顔が三井の脳裏へまざまざと思い浮かんだ――散々に揶揄ってやればいい。彼と恋人同士になる以前の三井なら間違いなくそうしただろう。
だがしかし、いまの三井はすでに流川の「男」としての一面を知ってしまっている。写真ではどうやったって切り取れない実際の彼の夜の顔を知っていて、妄想ではなく、現実に経験したあんなことやこんなことをはっきりと脳裏に思い描くことができる。そんな状態でこんな雑誌を手に入れてしまえば、ただ単なる揶揄いのネタになどできるはずもない。言葉を選ばずに言えば、いわゆる「実用品」として、右手のお供にできてしまうわけだ。
そんなものを恋人の目につく場所に置いておけるほど三井は性に対してオープンなタチではなく、さりとてこそこそと隠しておけば、それこそまるで母親の目を盗むためにベッドの下へエロ本を隠す思春期男子のようではないか。はっきり言って、年甲斐がない。
「……いや、でもなあ」
三井は再び唸るように言って、引っ込めた右手をマウスのうえへ戻した。
買わないための言い訳はいくつも思い浮かぶのだけれど、結局のところ、三井はこの雑誌が欲しいのである。買いたいのである。手元へ置いて、中をゆっくりじっくり気の済むまで確かめたいのである。
普段まったく流川の容姿に言及しない三井ではあるけれど、その実、内心ではいつもその美貌に舌を巻いているのである。
「あああ、ちくしょう……」
欲しい。
噛みしめるようにそう呟き、頭を抱える。
三井が流川と付き合うことに決めたのは、顔が好みだからでは断じてない。高校生の頃から変わることのない、どこまでも純粋で真っ直ぐなその気性に絆されたからだ。けれど心理的なそれと比例するように物理的な距離も近くなってくると、やはりその顔面の破壊力を痛感せずにはいられなかった。
恋人同士の特別な瞬間はもちろんのこと、食事中にふと目が合った瞬間だったり。隣り合ってテレビを観ているときに、横を見てちょっとした感想でも言おうとした瞬間だったり。流川の部屋のベッドで目覚めて、その寝顔をついまじまじと見てしまった瞬間だったり。
――うわ、なんだこいつ。
三井の感想は毎回これだ。感嘆すると同時にちょっぴり腹立たしさすら覚えるほど、流川の顔は美しかった。流行りのメンズメイクや特別なケアなどしているわけもなく、表情だってたいていは眠たげにぼんやり虚空を見つめているだけだ。格好なんかひとつもつけていないのに、その癖、見慣れているはずの三井でさえびっくりするほどきれいな顔をしている。なんだこいつ、としか言いようがない。
顔が好みだから付き合ったわけでは断じてないのに、日々ふとした瞬間に訪れる「なんだこいつ」を積み重ねてゆくうちに、流川の好きなところのうちのひとつに「顔」も加わった、というのが、三井の心境としては適切なところだろうか。
つまるところ、三井は――本人には絶対言ってやらないけれど――流川の顔「も」好きなのである。好きなので、これだけ話題になっている雑誌ならば是非とも欲しい。たったそれだけの話なのだ。
ぐしゃぐしゃと頭を掻き混ぜていた右手が、再びマウスへと伸びた。
買う、買わない、買う、買わない。二つの単語が花占いのように頭の中でぐるぐると回り、白いカーソルが画面の中でうろうろ彷徨う。
――そして。
カチッ、という小さな音が、ひとりの部屋にやけに大きく響いた。