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 なんじゃそら、と思わず吹き出し、三井はしばらく肩を震わせながら笑った。
 あなたにとって『愛』とは――こんな質問、ドラマや映画の受け売りでもなんでも、適当にそれらしいことを言っておけばいいのだ。それを馬鹿正直に「分からない」とは。表面ばかり取り繕って格好つけるようなことは決してしない、流川のそういうある種子供じみた正直さと潔癖さが、三井にはたまらなく可笑しく、そして愛おしいのだった。
 三井は雑誌を膝へ置いたまま両手をあげると、うーん、と唸りながら体を伸ばした。
 緊張したり興奮したり忙しかったせいで凝り固まっていた背中がぽきぽきと鳴る。それに「いてて」とこぼしながら、ついでに首もこきこきと捻った。
 あれだけ躊躇したすえに買った『オトコのハダカ特集・流川楓』であるが、結果から言えば、大満足の内容である。想像以上に過激な写真の数々にはやや戸惑ったものの、プロの手によって最高の一瞬を切り取られた流川の姿は恋人の贔屓目を抜きにして見ても美しく、芸術的だった。
 おまけのように載せられていたインタビューも、普段の流川の様子をよく知る三井にしてみれば思わず「嘘・大袈裟・紛らわしい」のキャッチコピーが頭に浮かぶようなツッコミどころがたっぷりで、なんとも言えない可笑しみがある。もし自分が流川といまのような関係でなければ、インタビューのところだけ抜粋して、知り合い全員に配って歩きたいくらいだった。
 ふつふつと込みあげてくる思い出し笑いを奥歯で噛み殺しながら、手慰みにぱらぱらと雑誌の残りのページをめくってみる。けれど、三井はすぐに「ひーっ」という悲鳴をあげながら雑誌を閉じた。じつは男よりも女の下ネタのほうがえぐい、というアレだ。えぐいというか、生々しい。
「いろんな意味でとんでもねえもん買っちまったな、俺……」
 誰にともなく呟いて、ふう、とひと息つく。ひと息ついでにコーヒーでも淹れ直そう、そう思って立ち上がり、テーブルのうえへそっと雑誌を置いた、ちょうどその瞬間だった。
 ガチャン。
「――えっ」
 ひとりきりのはずの部屋に響いた物音。恐らくは、玄関ドアのロックが開く音だ。
 多分、いや間違いなく、流川が訪ねてきたのだろう。約束はしていないはずだが、メディア関連の仕事の帰りなんかに、自宅へ帰るより近いからとか、急に会いたくなったからとか、そういう動機で流川が突然訪ねてくるのは、ままあることではあった。不在でも家にあがってよいと許可を出したうえで合鍵も渡してあるし、普段ならば三井もべつに悪い気はしないのだが、しかし、今日に限ってはじつに間が悪い。
 三井は慌ててマグカップを置くと、テーブルのうえの雑誌をひっつかみ、咄嗟にソファのクッションのしたへ隠した。こうなると、いよいよ母親からエロ本を隠す男子高校生の気分だ。ついでに雑誌が入っていた薄い段ボールをゴミ箱へつっこみ、一緒に買った日用品の段ボール箱を意味もなく押したり引いたりしていたところへ、リビングの扉が無情に開く。
「――うす」
 そう言いながらぬっと入ってきたのは、案の定、流川楓その人であった。
 三井は段ボール箱と格闘していた体をがばっと起こし、おう、と反射的に片手を挙げて応えた。そのままその手で乱れた髪を直してみたり、服の裾を引っ張ってみたり。後ろめたいことがあると、なぜか不思議とじっとしていられないものだ。
 そんな三井の姿を見ていた流川が、怪訝そうに首をひねる。
「――どうしたんすか」
「な、何が?」
「いや。今日、来ちゃマズかったすか」
 明らかに挙動不審な三井を見て、流川がますます怪訝そうな顔になった。三井は慌てて「まさか」と首を振り、それとなく流川をダイニングテーブルのほうへ促しながら答える。
「急だったから、ちょっと驚いただけだよ」
 さあさあ、と頼まれてもいないのに流川のバックパックを受け取り、まあ座れよ、とダイニングチェアを引いた。流川は促されるままに着席こそしたものの、やはり怪訝そうに首を捻っている。三井は流川のバックパックを定位置であるソファの横に置き、背中へ纏わりつく探るような視線から逃れるようにキッチンへ立った。
「急って……。連絡、入れたっすけど」
 見てねーの、と流川が恨めし気に言う。
「――え、マジ?」
「……既読つかねーから、そうだとは思ってた」
 ため息まじりにそう言われ、しまったな、と三井は自分の不手際を呪った。雑誌に集中しすぎて、スマートフォンをすっかりおろそかにしていたのだ。
「……あー、さっきちょうど荷物が届いてさ。バタバタしてたんだよ」
 三井はなんとか言い訳を捻り出しながら、とりあえず、手持ち無沙汰を誤魔化すためにコーヒーメーカーのスイッチを入れた。荷物が届いたのは事実。バタバタもしていた。大丈夫、嘘は言っていない。そう自分に言い聞かせ、ばくばくと爆速で早鐘を打つ心臓を必死に宥める。
 けれど流川は非情だった。封の切られていない段ボール箱を目敏く見咎め、はた、と瞬きをしてからむっと眉を寄せる。
「一時間前っす、最初に連絡入れたの。その後もちょくちょく送った」
 王手。
 そんな声がどこからか聞こえてきそうだった。
 流川の顔にはでかでかと「怪しい」と書いてある。最初に連絡を入れたのが一時間前。それからも何度か連絡がきていたとなると、気が付かなかった、という最も単純な言い訳をいまさら使うには苦しいものがあった。せめてテレビで映画でも流していればまだよかったのだが、そういうわけでもない。パソコンで作業をしていたとか、本を読んでいたとか、ゲームをしていたとか、そういう形跡もない。それでいて、バタバタしていたという割には肝心の荷物が開封された形跡はなく、部屋もいつも通りに片付いている。明らかに不自然だ。何かを誤魔化している。QED、証明終了。
「どっか出かけてんのかと思って駄目もとで来たら、フツーにいるし」
「……あの、それはだな」
「寝てるとか、風呂入ってるとかでもねーし」
「……はい」
「なんか後ろめたいことでもしてたんすか」
 こういうところだ。
 三井は内心でぐぬぬと唸りながら、がっくりと肩を落とした。気付いたことは、なるべくその場で話し合ってすぐ解決してしまいたいタイプ。たとえ喧嘩になるとしても我慢はしない。そこに情状酌量も忖度もない。全国の流川ファンよ、こういう男と付き合うと、けっこう大変だぞ。
 三井は無言でソファを指差し「クッションのした」とぼそぼそと言った。流川がふんぞり返って腕組みをし、無言で顎をしゃくる。自分で持ってこい、ということだろう。なんと生意気な後輩だろうか。その尊大な仕草にカチンとはきたけれど、最初に隠し事をした後ろめたさがある手前、三井は素直に「はい」と頷き、とぼとぼとソファへ向かった。
 クッションをそっと横にずらせば、ダイニングで腕組みをしてふんぞり返っている男のセミヌードグラビアがぬっと姿を現す。はあ、と思わず感嘆のため息がもれた。なんといっても顔がいい。同じ空間に生身の本物がいるにも関わらず、つい見惚れてしまうほどだ。
「……先輩」
 流川の声に苛立ちが混じる。三井はとうとう覚悟を決めて雑誌を手に取った。
 見た瞬間に捨てられるという最悪の事態も、十分に想定の範囲内だ。そもそも、流川はこの仕事をひどく嫌がっていた。というか、この手の容姿の美しさばかりを取り沙汰される仕事全般をとにかく嫌っているのだ。
 思い返せば以前、いつも以上に消耗した様子で三井の家にやってきた流川が、つかれた、もうやだ、とぐずぐず言いながら一晩中甘えて離れなかったことがあった。いま思えばあれは、この雑誌の撮影があった日のことだったのではなかろうか。あの時はいつになくくたびれ果てた流川の様子があまりにも気の毒で、三井もつい心ゆくまで甘えさせてやった記憶がある。
 きっと、流川にとってはそのくらい嫌な仕事だったのだ。
 それなのに。
 いまさらながら、流川に対してとんでもない裏切り行為をしてしまったような罪悪感が、三井の胸にふつふつと沸きあがってきた。
「……あのさ、流川」
「なんすか」
「これ」
 買っちまった、ごめん。
 ちいさな声でぼそりと告げ、手に持った雑誌を流川の前へおずおずと差し出す。ふんぞり返っていた流川が、どれどれ、と三井の手元へ視線を落とした、その瞬間である。
「――っ○!※□◇#△!」
 ほんの数瞬前まで「ふふん」と勝ち誇った顔で腕組みをしていた流川が、声にならない悲鳴をあげて文字通り跳びあがった。尻が座面から十五センチほど浮きあがり、そのままの勢いで立ちあがったせいでダイニングチェアが後方へ跳ね飛ばされる。
「お、おい! 大丈夫か!?」
 すわ何事か、と三井がぎょっとしながら見あげたさきで、流川は見たことがないほど目を丸くして三井の手元を凝視していた。
「そ、それ……」
 流川の声はか細く震えている。
「え?」
「それ……」
「……え?」
 流川の声はあまりにか細く、三井は眉を寄せて必死に聞き耳を立てた。顔は気の毒なほど真っ赤に染まり、雑誌を指差す手はふるふると小刻みに震えている。
「それ……っ、か、か、か、買ったんすか……っ!?」
「お、おう」
「読んだんすか……っ!?」
「そりゃあ、まあ……」
 それはもう、しっかり隅々まで楽しませていただきました。
 とはさすがの三井も皆まで言えず、曖昧に頷く。それを見た流川が、まるでこの世の終わりのような顔で三井を見た。ふたりの間に、しばしの間気まずい沈黙が流れる。
 数時間にも感じるような数秒ののち、重苦しい沈黙を破ったのは流川だった。
「……どうでした」
 思ってもみなかった問いに、三井の思考が一瞬止まる。
「――え?」
「だから、どうでした。見たんすよね、中身」
 流川の態度が、突然いつも通りのふてぶてしさを取り戻した。とはいえ顔はいまだに紅潮しており、目元もなんとなく潤んでいる感じがする。気持ちを切り替えたというよりは、開き直ったとか居直ったとか、そういう表現のほうが適正だろう。
 突然の問いにぽかんと思考停止している三井に向かって、急に真剣さを帯びた流川の顔がずいっと近づいてくる。三井はつい無意識のうちに後退りをしたが、流川のその類稀な反射神経によって両の腕をがっしりと掴まれ、すぐに身動きが取れなくなった。
「見たんすよね?」
「そりゃあ、見たけど」
 もう一度念を押すように尋ねられ、ごにょごにょと唇をまごつかせながら首肯する。
「どうでした」
 三井が気弱になるのと反比例するように流川の顔面は圧を増し、三井は完全に気圧されたような気分でもじもじと俯くほかなかった。
「どう、って……」
 そりゃあ、カッコよかったに決まっている。
 美人は三日で飽きるなんて、あんなことわざはまるっきり嘘っぱちだ。流川の顔なんて高校時代の時点ですっかり見慣れた気になっていたが、見慣れたところで美しいものは変わらず美しいまま、むしろ年を経るごとにその魅力と引力を増し続けている。
 だからこうやって至近距離から睨まれると、さしもの三井もたじろぎ、言葉を失ってしまうのだった。きっと例の雑誌を買った全国の流川ファンにとってはその場で卒倒するレベルのシチュエーションだろうが、なまじ耐性がある分、三井にとっては真綿でじわじわと首を絞められているような息苦しさがある。
「聞かせて」
 唇をはくはくとさせたまま固まっていた三井の耳元へ、流川の唇がそっと触れた。天は二物を与えずなんてことわざもまるっきり嘘で、流川は声もいいのだ。音の粒のひとつひとつが透徹として、硝子細工のような繊細ささえ感じるほどなのに、けれど決して弱々しくはない。どんな雑踏にあっても、流川の声だけは不思議と澄み渡って聞こえる。そんな声で「ねえ」と子供が親へ甘えるように囁かれると、三井はどんなおねだりだって聞いてやりたくなってしまうのだった。
「――ああクソっ、腹立つくれーカッコよかったよ……っ!」
 半ばヤケクソでそう叫ぶと、あとは堰を切ったように言葉が溢れ出してくる。
「ほんと、なんなんだよお前。なんでそんなに顔がいいんだよ? ああ知ってた、知ってたさ、お前の顔がとんでもなくいいのなんかもちろん知ってたけどよ、高校んときから大概無意味に顔がよかったけどよ、しかしなんで年々磨きがかかってやがるんだよ!? ふざけんじゃねえぞコラ! 卑怯だぞ!?」
 三井のヤケクソの合間に、流川がぼそりと「理不尽」と呟く。しかしその頬は上機嫌に緩んでいて、三井の両腕を捕らえていた手はいつの間にか三井の背中に添えられ、怒りと恥じらいにカッカと火照る体をその腕の中へしっかり囲い込んでいた。
「クソ、ほんとは買う気なんかなかったのに。……でも、だって、表紙がさ。表紙の写真がすっげえよかったから……」
「ほんとっすか」
 心なしか、流川の声には喜色が滲んでいる。反対に三井の声はどんどん覇気を失くし、拗ねたようにしおれてゆくばかりだった。
「なに嬉しそうにしてんだよ、クソっ」
 両腕で雑誌を守るように抱き締めながら、分厚い胸板に拳をぶつける。
「すんません」
 上辺ばかり謝ってみせた流川の声は、やはり嬉しそうに弾んでいた。

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