普段の言動からするとなんとなくガサツな印象のある三井だが、彼の部屋はいつもきれいに片付いていて、どちらかというとむしろ几帳面なタイプに見える。
三井の部屋は全体的にシステマチックな雰囲気で、男の部屋にありがちな、一見しただけでその人間のパーソナリティが想像できるようなコレクションの類いなどはほとんど置かれていない。歴代所属チームのグッズとかカレンダーとか、そういった記念品や毎年恒例の頂き物なんかがリビングの一角にまとめて飾られているだけだ。
そのほかはというと、ダイニングに観葉植物が一鉢あるのと、ところどころにルームフレグランスが置かれているくらいだろうか。埃の溜まりやすそうな間接照明やら、見栄えはいいが用途がかなり限定的な小型家電やら、そういった類のものもない。実用一辺倒の部屋だ。
三井のそういうところは流川にとってかなり好印象で、実際、流川自身の部屋もほとんど似たような雰囲気である。違うのは、流川の部屋のほうが三井のそれよりいくらか雑然としていて、言葉を選ばずにいえば少々オタクっぽいということくらいだろうか。
そんな三井の部屋に新たな棚が購入されたのは、つい先月の出来事である。
リビングに設置されたその棚は、流川の腰ほどの高さで、正方形の箱を六つ繋げたような形をした本棚だ。表側には雑誌やレコードジャケットなんかを飾れる目隠し用の扉がついていて、収納というより、どちらかというと部屋の間仕切り兼飾り棚としての用途がメインのように見える。
これまでの三井の部屋にはなかったタイプの家具だが、けれど、はじめは流川もさして気には留めていなかったのだ。あれこんなところに棚あったっけな、と、一瞬思ったか思わなかったか、その程度である。付き合ってはいるが同居して生計を共にしているわけではないし、今後そうする予定もない。インテリアに特段のこだわりがあるわけでもない。そんなものだろう。
そんな何の変哲もない棚が、少しずつ変哲を見せはじめたのはいつ頃だっただろうか。
「……」
無言でじっと立ち尽くす流川の前には、件の棚がある。
「……俺?」
そう言って首を傾げた流川の視線の先にあるのは、ボブルヘッドだ。それも一体や二体ではない。計五体ほどのボブルヘッドが、ずらりと並べられているのだ。
流川は棚の前へ屈みこんで、並べられたうちの一体をまじまじと見た。恐らくは、NBA時代に来場者プレゼントか何かで配られたものだろう。顔がまったく似ていないし、端から似せる気もなさそうなのがいかにもアメリカ人の仕事という感じである。
隣の一体は打って変わって比較的流川っぽい顔立ちをしていて、現在の所属チームのユニフォームを身に着けている。その隣はまた打って変わって「誰?」という感じの顔をしていて、ユニフォームはNBAで最後に所属したチームのものだ。これも恐らくは記念品だろう。几帳面に後ろへ並べられた箱を見ると、優勝記念とかなんとか、そんなようなことが書かれていた。
じっと真顔でボブルヘッドを見つめていた流川の頬がじわじわと緩む。
家主がいないのをいいことに――三井は地域のイベントへ駆り出されていて朝から不在だった――流川は棚の飾り扉も開け、そっと中を覗き込んだ。すると案の定、そこへ並んでいたのは流川が表紙を飾った雑誌のコレクションだった。十冊以上ある雑誌が種類ごとにきちんと揃いのファイルボックスに収められ、背の順に行儀よく並べられている。
「……んふ」
流川の唇から、噛み殺しきれなかった笑い声が漏れた。
とある雑誌を巡って二人の間にひと騒動あったのが、ちょうどひと月程前のことだ。
いまを時めくアイドルや若手俳優なんかのちょっと際どいヌードを売りにした老舗女性誌の名物企画に流川が抜擢され、流川自身はほんとうに嫌々、マネージャーやチームの関係者に説得されてやっといじけ半分で撮影に臨んだのだが、なんとその雑誌を三井がこっそりと買って、隠れて読んでいたのである。
はっきり言って、驚いた。
なにせ三井はこれまで、流川のメディア関連の仕事について一切の無関心を貫いてきたのだ。
流川とてべつに好き好んでメディア露出をしているわけではなく、ゆえに三井のそういった態度は、正直ありがたいといえばありがたかった。いちいち柄にもない姿を揶揄われたり、笑われたりするよりかはよほどましだ。
しかし。
先輩って、もしかして俺にぜんぜん興味ねーんじゃねーの、と。
裏を返せばそういうことのような気もして、流川なりにほんの少し不安を抱えてもいたのだ。揶揄われるのは嫌だ。けれどだからといってまったくの無視というのは、それはそれで違うんじゃないのか。恋人としてどうなんだ、と。
だからこそ、だ。
――ああクソっ、腹立つくれーカッコよかったよ……っ!
だからこそ、そのひと言を流川がどれほど嬉しく聞いたことか。
嫌々やった仕事には違いない。けれど、それで三井が喜んでくれるのならば当然、悪い気はしない。当たり前だ。だって、三井は流川の恋人なのだから。自分の抱いている好意が一方通行ではないと実感できることの、なんと幸福なことか。
流川は、じわじわと込み上げてくる幸福感を噛みしめながらそっと扉を閉めた。
システマチックに整えられた部屋の中で、そこだけちょっと浮いている飾り棚。そのうえに鎮座している推定自分と思しき目つきの悪いボブルヘッドをつついてから、流川はその足でキッチンへと向かった。実はここにも、三井の密やかな愛情表現が眠っているのである。
「言ってくれれば持ってくるのに」
流川はふふんと笑いながらそう独り言ちて、カウンターのうえに置かれたプロテインの袋を見た。流川がスポンサー契約を結んでいるメーカーのものだ。商品の提供も受けているので、家には封を切っていない新品や新フレーバーの試供品がどっさりとストックされている。
プロテインの隣には同じメーカーのプロテインシェイカーがあって、一見するとドラッグストアなんかで普通に販売されている通常モデルとそう変わらないのだが、じつはロゴのところに流川のサインとシルエットが印刷されている、限定モデルなのだ。
「言ってくれれば書くのに」
流川はまたふふんと笑って、自分のサインが印刷されたシェイカーをにやにやと見つめた。そのにやけ顔のまま後ろを振り返ると、今度は冷蔵庫だ。きれいに拭きあげられた扉に、流川の背番号が刻まれたユニフォーム型のマグネットと、流川の写真が使われたミニカレンダーが貼られている。マグネットはチームの公式グッズで、カレンダーのほうは、これもプロテイン長年スポンサー契約を結んでいる飲料メーカーが出したものだ。秋冬向けの新商品の売り出しのための販促アイテムである十月はじまりのカレンダーは、八月末現在暦としての役割はまったく果たしておらず、いまのところは単に流川の写真が飾られているのと変わらない状況である。
流川は写真の中でシュートモーションを取っている自分の姿を眺めながら、これも確か家にあったような、と首をひねった。なかったとしても、スポンサー企業の担当者に連絡を取ればすぐ手配してもらえるはずだ。ボブルヘッドや雑誌にしたって同じである。
そのあたりの事情を同業者でもある三井が知らないはずはなく、けれどあれが欲しいこれが欲しいと強請られたことはただの一度もない。それが、流川には不思議でならなかった。
遠慮をしているのか、単に気恥ずかしいだけか。
その割に流川の目にも留まるように堂々と飾られているのは、一体なぜなのか。
図々しいようで案外そうでもなく、必要以上にひと目を気にするようでいて、じつは時々流川以上に図太かったりもする。そんな三井の複雑怪奇な内面は、流川にとっては永遠に解けない知恵の輪のようなものだ。考えれば考えるほど絡まって、どつぼに嵌ってしまう。
「……まあ、べつにいいけど」
流川はほんのわずか唇を尖らせながらぽつりと言った。
純粋に三井を喜ばせたい気持ちが半分、たまには年上の恋人に無体なわがままを言われてみたい気持ちが半分。じつは流川も流川で家にこっそり三井のグッズを隠しているのだけれど、それを打ち明けたら彼はどんな顔をするのだろうか、という好奇心がほんのわずか。
そうやって唇を尖らせたままカレンダーの中の自分と睨み合っているうち、玄関のほうからかすかな物音が聞こえてきた。
「――ただいまーっ、と」
三井の声だ。ややあってぱたぱたという軽い足音が聞こえ、リビングの扉が開く。流川は緩みそうになる唇をむっと引き締め、いつもの無表情を作って「うす」と答えた。
「おー、来てたんか」
「うす」
「飯は?」
「食ってきたっす」
「おー」
俺も、と言いながらキッチンへ入ってくる三井へ場所を譲りつつ、流川はじっと静かに三井の様子を伺った。そんな流川を横目に捉えた三井が「なんだよ」と首をひねる。
「……なんかお前、機嫌いいな?」
首をひねったまま、三井が不思議そうに言った。
「……そーすか?」
「うん」
「まあ、悪くはねーけど」
「ああそう」
そりゃあ結構なことで、と至極どうでもよさそうに返してから、三井が冷蔵庫の扉を開く。流川は邪魔にならないよう体をずらしながら、こっそりとその中身を盗み見ていた。
「……あの、先輩」
「なんだよ」
「いや」
なんでもねーっす、とすぐに引き下がった流川のにやけ顔を、三井が不思議そうに見た。三井がちょうど右手で開いている方の扉、その一番上のドアポケットには、カレンダーのおまけの缶コーヒーがずらりと並んでいる。左手には、これも流川がコマーシャルをしているスポーツドリンクのペットボトルが握られていた。
「やっぱお前、今日やけに機嫌いいよな」
「そーっすね」
「なんかあったか?」
「べつに」
なんでもねーっす、と流川はもう一度噛みしめるように言った。なんでもない。ほんとうになんでもないのだ。ただどうしようもなく目の前の恋人を愛おしく感じているだけで、あとはほんとうになんでもないのだった。
2023.08.23