あの後結局流れのままに寝室へもつれこんで、暗転。
三井が事後のシャワーを浴び終えて帰ってくると、先にシャワーを終え、下着姿のままベッドへ寝そべっていた流川が、ちょうどくわっと大きな口を開けて欠伸をこぼすところだった。濡れた髪もそのままに大の字で寝そべり、気持ちよさそうに目を細め、細い鼻梁に横皺を寄せての大欠伸である。
「間抜け面」
三井が笑いながら言うと、流川は眠たげな目元をはしはしと瞬かせながら起きあがった。その起きあがりかたは「のっそり」という擬音が適切な雰囲気で、なんとなく動物園のシロクマやパンダなんかを思い起こさせた。間違っても、例の雑誌のグラビアにあったような淫靡さはない。
「隙あらば寝ようとすんなって、お前。成長期はとっくに終わってんだろ」
ベッドの端へ腰掛け、肩にひっかけたタオルで髪を拭いながら小言をひとつ。流川は反論する様子もなく、無言のままずりずりと這いずるようにして三井の傍へ近寄ってくる。
「髪くらいちゃんと乾かせよな、ったく……」
思いのほか水気が残っていた頭をぐりぐりと撫でながら、小言をもうひとつ。三井は己の肩へかけていたタオルを流川の頭へ乗せ換えると、両手を乱暴にわしわしと動かし、寝乱れた濡れ髪を勢いよく拭いた。
「……いてーっす」
流川が不満気に呟く。
「だったらテメーでちゃんと乾かせ」
三井の反論に、流川はしかし不満顔だ。
「だって」
「だってじゃねーよ」
「違う」
むっとした顔で、流川がナイトテーブルを指差す。そこには例の雑誌が堂々と鎮座していて、表紙にはいま三井の目の間にいる男と同一人物だとはまったく思えない様子の流川がしっとりと佇んでいた。
「……あれがどうしたんだよ」
蒸し返すな、という気持ちも込めて、三井もむっとした顔で応じる。すると流川はもう一度「違う」と返してから、突拍子もなく濡れた犬のようにぶるぶると頭を振ってみせた。その拍子に細かな水滴が三井の顔へ飛んできて、この野郎、とこめかみがひくつく。
しかしそんな三井のささやかな苛立ちは通じなかったようで、流川は相変わらずむっとした顔のまま俯いている。持ち主に似て素直な直毛は頭を振っただけで元通りの形状を取り戻し、簾のようにその目元を覆い隠していた。
ほんの数秒程度の沈黙。ややあって、流川が伺うような上目遣いでぼそりと言った。
「……ああいうのが好きなんでしょ」
「……は?」
発言の真意が理解できずに固まる三井をよそに、流川は先ほどまでの不機嫌顔から一転、なぜだかやけに得意げな顔をしている。
「どーすか」
「いや、どうもこうも……」
三井は困惑しながら頭をかいた。恋人同士ではあるが、性格や考え方なんかは正反対と言ってもいいほどのふたりだ。相手の言いたいことがいまいち理解できず首をひねることもいまだに多い。
けれど流川は妙に得意げなまま、ふふんと、三井の勘違いでなければ「さあ褒めろ」とでも言いたげな顔をしている。なんとなく、流川の終生のライバルであるところの桜木花道を思い起こさせる顔だ。その顔でまた、流川が得意げに言う。
「ほんとは、シャワーも一緒に行きたかったんすけど……」
先輩んちの風呂、せめーんで。そう続けられ、三井は思わず「うっせーわ」と頬をひきつらせた。
まずもって言っておきたいのが、規格外なのは風呂ではなく、流川の体格のほうだ。三井の家はごくごく一般的なファミリー層向けの賃貸マンションで、単身者が住むにはむしろ広いくらいの物件である。風呂だって流川と三井がふたりで入るには狭いというだけで、三井がひとりで使う分にはまったく問題のない広さと機能を備えている。
だいたいにして、あんなごく普通の風呂にふたりで入ったところで、なにが楽しいということもないのだ。三井の家の風呂は、これもごくごく一般的なシステムバスである。賃貸なのだから当然といえば当然だが、出来合いの、画一的な、ほんとうにごくごく一般的な日本のご家庭にあるお風呂という感じだ。色気とか洒落っ気とか、そういうものは一切ない。シャワーを浴びるにしてもどうしたって洗い場の風呂椅子に座りながらになるし、バスタブに浸かるのも交代でないと厳しい。これが海外のリゾートホテルにあるような小洒落たシャワースペースなら、ふたりで抱き合いながらシャワーを浴びたり、外から裸の後ろ姿を眺めるような楽しみ方もあったろうが――。
と、そこまで考えたところで、はたと気付く。
「……お前、もしかして」
困惑たっぷりに眉をひそめた三井を、流川がきょとんとした顔で見た。そのままはしはしと上下に動く長い睫毛を眺めていると、三井の頭の中へ浮かぶのはやはり「なんだこいつ」のひと言だ。流川の顔面には、どれほど間抜けなシチュエーションでも一瞬のうちに自分の色に塗り替えてしまえるだけのパワーがある。
いやいやいや、違う違う違う。
三井はつい明後日の方向へ走り出したがる思考を振り払うように頭を振って、のナイトテーブルうえの雑誌を指差しながら言った。
「いや、お前さ。あの雑誌、出んの嫌だったんじゃねーの?」
「そりゃあ、嫌だったすけど」
流川が「なんすか急に」と首を傾げる。
「急っつーか、なんつーか……。あんだけ出んの嫌がってた割に、俺の感想とか聞きたがるからよ。どういう心境の変化なんかな、って」
三井の問いに、流川がまたきょとんとした顔で瞬きをする。それから「なんだそんなことか」とでも言いたげな表情でふっと口元を緩めると、ナイトテーブルのうえの雑誌を手に取り、ぱらぱらとめくりながら言った。
「変な写真撮られんのとか、インタビューとかはそりゃあ嫌っすけど……」
どあほう共に笑われるし。
ぼそりと挟まれた恨み言に、さもありなんと三井の頬に苦笑が浮かぶ。世の大多数の人間にとっては高嶺の花そのもののような存在である流川も、高校の同級生である桜木にとっては永久にいけすかないキツネ野郎のままなのだ。他の同級生達や、先輩後輩、他校のライバル達にとってもそうだろう。かく言う三井にとっても長らくそうだったはずなのに、人の心というのは不思議なものだ。
そんなことを考えながら苦笑を浮かべていた三井の視界の端で、流川の雑誌をめくる手がふと止まった。
「……でも、アンタに褒められんのは好きなんで。だから、どう思ったのか聞きたかっただけ」
流川の手は『オトコのハダカ』特集の一ページ目で止まっており、三井の眼下には下着姿でベッドへ横たわる流川の姿が広がっている。明度の低い照明のもと、下着とアンニュイな雰囲気だけを全身に纏ってシーツのうえへ横たわる、美しい裸体。それを見ている被写体本人は「これのなにがいいんだか」というような顔で、不思議そうに首を傾げている。髪を濡らしたまま、パンツ一丁で。ベッドのうえに脚を投げ出してしどけなく座り、傍らには恋人である三井がいる。
「……それで、わざわざその写真の状況を被写体自ら再現してくれたってワケ、ね」
三井は自分の頬が火照っているのを自覚しながら、呆れまじりに言った。呆れている。確かに呆れているのだが、しかし同じくらい気恥ずかしくて、同じくらい嬉しい気持ちもあった。
――だってお前、そんなに俺に褒められたかったのか。
三井の胸に、名状しがたい感情がじわじわと込み上げてくる。日本全国、ともすれば世界中のあらゆる国にファンがいて、日夜その美貌を賞賛され尽くしているはずの男が、だ。そんな男が、高校時代から付き合いのある同性の恋人にただ褒められたくて、こんな真似をしている。再現なんかちっともできておらず、格好もまったくついていない。見ようによっては、かなり間抜けな絵面だった。そのくせ改めてその顔や肢体をまじまじ見てみるとやっぱりはっと息をのむほど美しくて、重ね重ね「なんだこいつ」という感じである。
「……顔のこととやかく言われんの、嫌いだったろ」
三井は火照った顔を隠すように俯き、両手でぱたぱたと扇ぎながら言った。対する流川は、不思議そうに首を傾げたまま、しれっとした顔で答える。
「バスケのルールもろくに知らねーような連中に付きまとわれて、ぎゃーぎゃー騒がれんのが鬱陶しいだけ。自分の顔がどうとか、べつになんとも思ってねーし」
「でも、俺には褒められてーんだ」
「使えるもんはなんでも使う。……昔、先輩に教わったことっす」
そう言って、流川は不敵に笑った。そんなことを教えた覚えはない、と言い返そうとして、失敗する。三井の喉からは「ぐぬぬ」という唸り声だけが漏れた。顔がいい、ああ顔がいい、顔がいい。なんでそんなに顔がいいの、お前。
「先輩、顔真っ赤」
流川が得意げな顔で言った。こっち見て、と、甘いけれど甘ったるくはない耳心地のよい声が、じゃれつくように三井を呼ぶ。その声があまりに上機嫌だったものだから、三井は心の中でなすすべもなく白旗をあげた。お手上げ、降参だ。
流川の感情表現は、分かりやすく表へ出てこないだけでいつでも真っ直ぐ、裏表がない。嫌なものは嫌。いいものはいい。単純明快で、けれどそのために他人と衝突することも多い。
反対に、三井のそれは少しひねくれている。
照れ臭い。
気恥ずかしい。
らしくない。
三井がなかなか素直になれない理由はたくさんあって、けれどだからこそ、流川のような男と上手くやっていけているような気もするのだ。
「……次からは、全部発売日に買ってやるからな」
覚えてろよ、と、まるで犯行予告かなにかのように物々しい顔で吐き捨てた三井を、流川はじつに満足そうな顔で見つめながら頷いた。
「じゃあ、これからは全部マジメにやります」
「テレビも観てやるからな。お前の名前で自動録画してやる」
「そっちも、マジメにやる」
「……フン」
マジメにやるなら、褒めてやらんこともない。
三井のぼそりとした呟きを、けれど流川はしっかり聞き取ったようだ。雑誌に載っているのとはまるで別人のような緩みきった顔で頷くと、待てを解かれた犬のように三井へ向かってタックルを決めた。
グラビア撮影もインタビューも、あるいはテレビ番組の収録だって、これくらい素直に頑張ってくれたら一体どれほどの数の大人が涙を流して喜ぶことだろうか。全国の流川ファンだってきっと、外向けに切り取られた美しいばかりの姿以上に、こういうありのままの表情のほうこそを見たいに違いない。
けれど、そんな可愛げを堪能できるのも自分ひとりと思えば。そして、その可愛げを引き出すのに必要なのがほんのわずかばかりの誉め言葉だけだと思えば。
ならばちょっとくらい素直になってやってもよいと、この期に及んで素直じゃないことを思う三井なのであった。