ガールズ・ドント・クライ/仙三

※三井に片思いするモブ女子が出てきます
※モブ女子視点

 

 彼は今年の春に新しく入ったアルバイトの一人だった。就活のために辞めてしまった佐藤君の紹介で入った子で、大学のバスケットボール部の後輩なのだそうだ。
「三井君、これA卓ね」
「りょーかい」
 随分高いところにある顔を見上げながらビールジョッキを二つ手渡すと、三井君は入ってすぐの頃にくらべると人懐こさの増した表情で笑い、大きな右手で軽々と大ジョッキを持ってホールに出て行った。その後ろ姿をつい目で追いかけながら、お仕着せの黒いTシャツに浮かんだ陰影に目を奪われる。
 バスケをやっているだけあって、三井君の背中はすごく広い。
 肩や腕にもしっかりと筋肉がついていて、けれどあんまりむさ苦しい感じはしないのが不思議だった。多分、スタイルがいいからだろう。手足が長くて腰の位置も高く、顔なんか隣に並んだら恥ずかしいくらいに小さい。
 最初はその背の高さにびっくりしただけだったけれど(辞めちゃった佐藤君は、バスケ部にしては思いがけず小柄だったのだ)、落ち着いて見れば男性ファッション誌の読者モデルでもやっていそうな感じの爽やかイケメンだ。正直言うと、ちょっと苦手なタイプである。
 でも実際に話してみるとあんまり浮ついた感じがなくて、特に少人数でいるときなんかは、むしろ同年代の男の子達よりどこか大人びてすらいた。仕事は真面目にこなすし、厄介な絡み酒の常連さんなんかがいるときには、それとなくホールの仕事を代わってくれたりもして。そういうときの三井君は、私より年下なのにすごく頼りになる。かと思えば店長や他の男性スタッフと馬鹿話をして笑っている顔は、年相応よりちょっと幼いくらいで。
 そんなギャップに目を奪われたのが、多分、一番はじめのきっかけだったと思う。
「アヤちゃん、C卓レモンハイ一つね」
「あ、ハイ」
 店長の呼びかけに、慌てて視線を手元に戻す。
 ――まずい、また見惚れてた。
 自分を戒めるように心の中でそう呟いて、仕事に戻った。
 私が働いているお店は、個人経営のちいさな居酒屋だ。カウンターが五席と、四人がけのテーブル席が三卓。どんなに混んでいても、調理担当の店長を入れて三人もいれば全然回せてしまうくらいのちいさなお店。だから、三井君とシフトが被ることは実のところそんなにない。ほかにもあと二人アルバイトの子がいて、そのうえ三井君は部活優先のシフトを組んでいるから、今日は三井君と一緒だと期待して店に行っても、急にシフトが変更になっていることだってしょっちゅうだった。
「――ね、三井クンてN大のバスケ部であってるよね?」
 お酒を出し終えて手持ち無沙汰になった私へ不意にそう声をかけてきたのは、カウンター席にいた常連の女のひとだ。みんなマリさんって呼んでるから私もそう呼ぶけど、年齢や職業については聞いたことがない。持ち物とか着ている服なんかは結構高そうだから、多分社会人だと思う。というか、そうであってほしい。
「あ、ハイ。去年までいた佐藤君の後輩だって聞いてます」
「やっぱそうだよね。背ぇ高いし」
 彼女は綺麗に整えられた爪でコツコツとカウンターを叩きながら後ろを振り返り、それからすぐわたしのほうへ向き直ってにっこりと意味深に笑いながら言った。
「カッコいいよね」
「えっ?」
「三井クン、カッコいいよね。背ぇ高くて顔ちっちゃくてさ。すっごくモテそう」
 ね、とマリさんが首を傾げると、きらきらと照明を弾くロングピアスが肩のうえをするりと滑った。背が高いのに華奢な体型を強調するぴったりとした薄手のリブニットは、デコルテのところがざっくりと大きく開いていて、女の自分が見てもちょっとどぎまぎしてしまう。きれいにウェーブのかかった髪はいつ見てもツヤツヤだし、前髪のセットなんか美容室からそのまま来たんじゃないかと思うくらいに完璧だ。
 なんだか妙に居心地が悪くなって視線を落とすと、自分のささくれた指先が目に入ってますます気分が落ち込んだ。不格好な形の爪に、かさついた指先。ここのまかないがすごく美味しいせいか、体重は去年より三キロも増えた。もとから華奢なほうじゃないから、手首とか足首なんかは三井君のほうが細いかもしれないくらいだ。ピアスの穴は大学に入ってすぐ開けたのだけれど、バイト中はピアス禁止だからすぐに塞がってしまった。最後に美容室へ行ったのは二か月前で、前髪は朝の寝ぐせが直らないまま変なところでぱっくりと割れている。
 ああいやだ。自分がそんなに可愛いほうじゃないって、そんなの中学に上がるくらいの頃にはとっくに気付いていたし、だから今更マリさんみたいな綺麗なひとに嫉妬したり、こうなりたいって強いあこがれを持ったりもしない。どうせなれないって知ってるからだ。ただ、ちょっとだけ惨めな気分になるだけ。私ももう少しちゃんとしなきゃな、と思うこともあるんだけど、みんなどうやってやり繰りしてるんだろう、って不思議に思ったりもする。エステとか脱毛とか、どこからそんなお金が出てくるんだろう。私には無理だ。
「――あ、マリさん。来てたんですね」
 私が答えに困ってなんとなく笑っているうちに、ホールから戻ってきた三井君が明るい声で言った。マリさんも一段と高い声で「三井クン」と応える。
「ねえ聞いてよ。こないだ一緒に来た子、覚えてる?」
 マリさんがカウンターへしなだれかかりながら言った。三井君も誘いに乗るようにカウンターの中へ入り、マリさんの正面に立つ。
 この店のカウンターはそのまま厨房と繋がっていて、座席からも調理の様子がまるっと見渡せるようになっていた。夜が更けてくると食事やお酒の提供よりも常連さんとのおしゃべりがメインになったりするし、それが売りのひとつでもある。
「背ェ高くて、なんか海外帰りって感じのひと?」
 三井君が片手間に作業台のうえを片付けながら問い返した。
 不思議なことに飲食店の忙しさには一定の波があって、ぱたぱたっと連続でお客さんが入って忙しくなったかと思えば、ぽっかりと手持ち無沙汰になるタイミングもあったりする。かと思えば突然オーダーやお会計が重なって慌てたりもするのだが、いまはちょうどぽっかりと手持ち無沙汰になる時間だった。A卓のカップルはすっかりいい雰囲気で話し込んでいるし、C卓の男性二人連れはかなり出来上がっていて、片方のお客さんなんかほぼ眠っている。私はそんなテーブル席の様子へ目を配りつつ、気もそぞろに三井君とマリさんの会話に聞き耳を立てた。
 実のところ、私は三井君のことが好きだ。
 でも、だからって何をするつもりもない。釣り合わないのなんか百も承知で、傷つくのも怖いし、ただこうやって遠巻きに見ているだけ。それも、月に数えるほどしかない同じシフトの、ほんの数時間の間だけだ。
「そうそう。リョウコって言うんだけど、リョウコがさ、三井クンってN大の男バスでしょって言ってて。で、もしよかったら二年の子何人か紹介してほしいらしいんだけど……」
 マリさんが「お願い」と手を合わせながら上目遣いに三井君を見上げる。カウンターの向こうの三井君は、苦笑を浮かべながら困ったように言った。
「確かにそうっすけど……。でもそのリョウコさんってひと、確かチアでしょ。俺なんかが繋がなくたって全然大丈夫そうじゃねーすか」
 三井君の口から何気なく飛び出した単語に、うわ、と思わず声が出そうになった。大学のチアリーダーなんて、私なんかとはいよいよ別世界のひとだ。ていうか、もしかしてマリさん、大学生なんだろうか。
「いやいや、三年はそうだけど、二年の子は流石に全然だって」
 マリさんがからりと笑いながら言う。その口振りからして、マリさん、三年生かな。てことは私と同い年だ。うわうわうわ、嘘でしょ。同い年。……同い年かあ。
 思わず肩を落として自己嫌悪に陥る私をよそに、マリさんは身を乗り出して続けた。
「――でさ、二年の子たちもそうなんだけど、K大にさ、プロ注の有名な子いるじゃん?」
「ああ、牧?藤真?」
「えーっと、なんとか戦隊とかなんとかライダーとかに出てそうっぽい方じゃない方だって」
 その不思議な例えに、三井君がぷっと吹き出す。私もあやうく笑うところだった。出てそうな方、じゃなくて、出てそうじゃない方、なのが余計におかしい。どういう二人なんだ、その牧君と藤真君って。
「なんすかそれ。……でもなんとなくわかった。牧っすね、多分」
「そうそう、多分そう。有名らしいよね、その牧クンって子」
「そうっすね。連絡先とか、高校時代の話とかよく聞かれますよ。牧と藤真と、あとは後輩だけど仙道と流川あたりかな、多いのは」
「あ、仙道クンはアタシこないだ一緒に飲んだよ。生で見たらすっごいイケメンでびっくりしたけど、変わった子だよね」
 マリさんがそう言うと、三井君はちょっと驚いたみたいに目を瞬いてから、困ったように笑った。
「変わった子か。はは、確かに。なんか意外とぼんやりしてるっすもんね、あいつ。……でも、ボール持たせるとすげえんすよ」
 三井君の目がきらきらと輝く。
 ああ、いいなあ。私は不意にそう思った。真剣なひとの目だ。モラトリアムを謳歌するためだけに大学にいるんじゃなく、なにか打ち込むものがあって、それに全精力を注ぎこんでいるひとの目。悪い言い方をすると、ちょっとオタクっぽいっていうか。
「仙道君と仲いいの?」
 マリさんが興味津々に尋ねる。三井君は「あー」とちょっぴり口ごもってから歯切れ悪く答えた。
「……まあ、それなりに」
「ふうん。ぼんやりしてるっていうか、なんか、別の時間軸で生きてるひとって感じだったかな。芸術家とか、大学の教授とか、そっち系だよね」
「あー、なるほど……」
 マリさんの言葉に、三井君が苦笑気味に頷く。大学の教授、って言われると、私でも何となくその人物像が想像できるような気がした。イケメンのスポーツマンとはあまり結びつかない感じがする人物像だけれど、なにかひとつのものを突き詰める才能を持った天才肌のひとっていうのは、分野に関わらず似たような雰囲気を纏っているものなのかもしれない。
「カッコよかったけど、ちょっと私には手に負えないって感じ。捉えどころがないっていうか」
「はは、あー、確かに……」
 三井君は、その仙道君とやらの顔を思い浮かべているのだろう。天井を見上げ、ちょっとおかしそうに、しみじみとした様子で呟く。
 その顔を盗み見て、私は思いがけずどきっとした。
 なんだろう。
 よく分からないけど、なんというか、すごく無防備な感じの顔だったのだ。
「にこにこはしてるんだけど、なんか、意外と隙がないっていうか……。結局誰とも連絡先交換しないで、ご飯だけ食べて帰っちゃった。女性陣みんなすっごいがっかりしてたよ」
 マリさんはキラキラとした雰囲気を裏切る捌けた調子で言うと、心底おかしそうに肩を竦めて笑った。三井君も納得している様子だから、その観察眼は確かなようだ。
 三井君はうんうんと何度か頷いてから、しみじみと言った。
「アイツ、人当たりはいいんすけどね。昔っからあの調子で騒がれてるから、意外と冷めてるとこはあるかもしんねーな」
「あー、うん。人間不信ってほどじゃなさそうだけど、女性不信ではありそうだったかも」
「はは。俺、アイツとは仲間内でしか飲んだことなかったから、知らなかったっす。外じゃそんな感じなんだ」
 そう当たり障りのない感想を述べて笑った三井君に、マリさんが微笑む。それからぴんと長い人差し指を立てて続けた。
「――それか、もう誰かいるのかも」
 その言葉に、三井君が「え」と短くこぼす。その横顔は、やっぱり無防備だった。
「年上とみたね、私は」
「……その心は」
「いやあ、あの感じは年上好きでしょ、絶対。可愛いだけの年下の女とか、絶対興味ないと思う」
 ただの勘だけどね、とマリさん。目を丸くした三井君の顔を見るにつけ、どうも当たっていそうである。そんな三井君の顔を見たマリさんがにんまりと笑い、さらなるプロファイルを披露しようとした、その瞬間だった。
「こんばんはー」
 ちょっと気の抜けた感じの、でもよく通る低い声だ。いらっしゃいませ、と何の気なしに入口へ視線をやった瞬間、視界の外で三井君が「うげっ」と声をあげた。例えは悪いが、厨房でゴキブリでも見つけちゃったときみたいな声だ。
「えー、すごっ! 噂をすればってやつ?」
 マリさんが興奮した声で言う。するとつまり、彼が噂の仙道君ってことなんだろうか。
「えっ、やだなあ。なんでそんなゴキブリでも見たみたいな顔するんです?」
 推定仙道君が、ドアの前に立ったままきょとんと言った。その内容がまるきり私が思ったのと同じ内容だったので、あやうく吹き出しそうになる。
 そんなわたしとは対照的に、三井君は苦り切った顔で「さっさと座れよ」とぶっきらぼうに言った。推定仙道君、わたしは接客したことがないと思うんだけど、カウンター席へ座るなりメニューも見ずに店長オリジナル洋風おでん――和風ポトフと呼ぶ人もいる――を注文している姿を見るに、どうやらけっこうな常連客のようである。
「ねえ、仙道君でしょ。覚えてるかわかんないけど、先月――」
 注文がひと段落したタイミングで、マリさんがすかさず切り出す。推定仙道君は、やはり仙道君その人だったようだ。
 仙道君ははじめこそきょとんとした顔でマリさんを見ていたけれど、突然慌てたように「あーっ!」と大きな声をあげ、マリさんの話を強引に遮って立ちあがった。
「違うんです三井さん! あれはですね、田中先輩にどうしてもって頼まれて無理矢理連れていかれただけで……!」
 仙道君が三井君へ縋るような視線を向け、慌てた様子で弁明をはじめる。三井君はぶすっとした表情のまま素っ気なくカウンターへビールジョッキを置くと、仙道君の弁明を「へー、そう」と無関心にいなして厨房の奥へ消えていった。いなされた仙道君が、意気消沈、といった感じでしおしおと椅子へ座りなおす。そのときやっと、わたしも仙道君の顔を落ち着いて見ることができた。
 これは確かに、イケメンだ。イケメンというか、男前、というか。
 背丈はたぶん三井君よりおおきくて、髪を逆立てた独特のヘアスタイルがまず印象的だった。顔立ちは堀が深くてちょっと濃いめで、三井君が読者モデルとかアイドル歌手とか、そういうちょっと身近な雰囲気のイケメンだとしたら、仙道君は海外で活躍してる俳優とか、ランウェイを歩いてるようなモデルさんって感じ。独特の雰囲気があって、そこにいるだけで視線が引き寄せられる。さすが、マリさんがびっくりするだけのことはあるなという感じだ。
「ねえねえ。仙道君ってよくこの店来るの?」
 マリさんが興味津々の顔で尋ねる。仙道君は意気消沈顔のまま「うーん」と唸って、ちらりとカウンターへ視線を飛ばした。三井君を探してるんだろうか。
「よく、ってほどではないですよ。三井さんがシフト入ってるときに、たまーに来るくらいで」
「なるほど、三井君目当てってことか」
 仙道君の答えに、マリさんも私も揃って頷いた。私と三井君のシフトが被ることはそんなに多くないから、それで見たことがなかったんだ。
「まあ、そうなりますね」
 仙道君が苦笑気味に頷く。そこへ丁度お通しを手に三井君が戻ってきて、滅多なこと言うな、と釘を刺しながら仙道君の前へ立った。
「お前、いちいち冗談なんだかマジなんだか分かりにくいんだよ」
 三井君の口調はいつもより乱暴で、仕草もなんとなく荒っぽい。でも、こっちがきっと三井君の素の表情なのだろう。その証拠に、仙道君は全然怯んだ様子もなくにこにこと笑っている。
「えー。マジマジ、大マジですよ」
「じゃあなおさらやめろ」
「なんで」
「なんでもクソもあるか」
 けっ、と吐き捨てた三井君が、仙道君の前に音を立てて小鉢を置く。今日の小鉢は、タコとわかめの酢の物だった。
「あ、これ好きなやつだ」
 さっきからずっと三井君を怒らせているというのに、仙道君は相変わらずにこにこしながらそんなことを言う。素で空気を読めないのか、あるいはわざとなのか。なんとなく後者のような気がするのは気のせいだろうか。
「それ食ったら帰れよ」
「嫌ですよ。それに俺、さっきおでん頼んだばっかりじゃないですか」
 その言葉と同時に、厨房の店長から「カウンター四番さん、おでんあがり!」と声がかかる。それを聞いた三井君が思いっきり舌打ちするのを、私は聞き逃さなかった。
 私がいそいそと厨房を往復して洋風おでんをサーブすると、仙道君はにっこり笑いながら横の私を見上げ「ありがとうございます」と言った。しかも、きちんと目線を合わせて。
 たったこれだけのことで、私は仙道君に、かなりフラットな人なんだな、という印象を持った。自分で言いたかないけど、私みたいに綺麗でもないし可愛くもなくて、そのうえなんとなく気の弱そうな雰囲気の店員相手だと、露骨に雑な振る舞いをする男の人って意外と多い。仙道君みたいにいかにもモテそうなタイプの人はなおのことそうだ。
 でも、仙道君はそうじゃなかった。隣にマリさんがいるからちょっとカッコつけてみたとか、そういう取って付けたようなわざとらしい感じじゃなくて、そうして当然って感じの、すごく自然な振る舞いだった。だからきっと仙道君は、普段から、誰に対してもこうなのだろう。そういう人って、意外と少ない。
 私はその発見に感動しながら「いえ」とだけ言って、すごすごと壁際へ引き下がった。そんな私を見ながら、三井君が「お前さあ」と尖った声を出す。
「アヤちゃんにちょっかい出すなよな。お前みたいなのが手ェ出していい人じゃねえんだからな、アヤちゃんは」
 急に自分が話題の中心に引っ張り出されて、どきんと心臓が脈打つ。あまりのことに、私は気の利いた相槌ひとつ打てなかった。
 三井君は一個下だし、バイト歴も私のほうが先輩なんだけど、大学も違うしタメ口でいいよとは初対面で言ってある。他のスタッフ同士もだいたいそんな感じで、一部の年季が入った厨房スタッフ以外に上下関係みたいなものはほとんどない。
 だからアヤちゃんって呼ばれるのも、タメ口で話しかけられるのだって慣れてるはずだった。それなのにこんなにドキドキしてしまうのは、その発言の中身のせいだ。
「俺みたいなのって、具体的にどういうのを指してるんです?」
 仙道君が、ひどいなあ、と笑いながら言う。
「合コン三昧の爛れた男」
「だから、あれは田中先輩に頼まれたんですってば」
 ね、と仙道君に助けを求められたマリさんが、苦笑を浮かべながら頷く。
「あー、そうそう。男側の幹事、田中君だったね。今回は過去一のメンバー集めるってすっごい張り切ってたから、まあ、結構無理したんだろうなとは思ってたけど」
 ほらあ、とにこにこする仙道君に、三井君は再び舌打ちをして、それきり黙り込んでしまった。いつにないその様子にそわそわする私を余所に、仙道君はやはりマイペースににこにことしながら続ける。
「――そういや、アヤちゃんってなんか懐かしい響きだなーと思ってたんですけど、そうだ。湘北のマネージャーだ。確か、宮城がそんな感じに呼んでましたよね?」
 再び話題の中心が私へ戻った。おかげで私の心臓はばくばくと跳ね、息苦しいくらいだ。顔はきっと赤いだろうし、汗もかいてるかも。
 三井君はそんな私へちらっと視線を送ると、一度困ったように首の後ろを撫でてからちょっと面倒くさそうに答えた。
「……あー、彩子な。こっちのアヤちゃんは子が付かねーで、そのまま彩ちゃん」
「あ、ハイ」
 そうです。子は付かないです。と、三井君が言ったことをただ繰り返すだけの私にも、仙道君はにこにこ顔で「へえ、そうなんですね」と丁寧に頷いてくれる。ただ私は、そんな仙道君のイケメンスマイルより、三井君の「彩子」と言う声のトーンに気を取られて、完全にうわの空状態だった。
 三井君って、仲のいい女の子のことそういうふうに呼ぶんだ。って、頭の中はもうそればっかりだ。ちょっとぞんざいで、どこか照れくさそうな、そんな感じ。呼び捨てってことは、同い年か後輩だろう。マネージャーって、高校時代のかな。いろいろな憶測が頭を巡る。
 あからさまにうわの空の私の様子をどう思ったのか、三井君は首の後ろを撫でつつ「そういやさ」とあからさまに話題の矛先を変えた。
「お前、牧と藤真の連絡先知ってる?」
 尋ねられた仙道君が、えーっと、と天井を見上げる。
「牧さんのは確か持ってますけど、藤真さんのは知らねーっす」
「俺もそうなんだよな。なんでか牧のは知ってんだけど」
「藤真さんて、なんか謎にガード硬いっつーか。俺、なんかしましたっけ?」
「さあ。知らねーけど、割と誰にでもそうなんじゃねーの。身内以外にはドライっつーか、確かなんかの時に赤木と魚住も知らねえっつってた気がするし。だとすると、俺らの人間性の問題じゃねーってことだ」
「あ、そうなの? 魚さんが知らねーなら俺が教えてもらえるわけねーじゃん。どーりで」
 と、いかにも旧知の間柄っぽい親しげな会話がぽんぽん繰り広げられているところへ、マリさんがそっと割って入る。
「私の友達がさ、その牧クンって子の連絡先知りたがってるんだけど……」
 どんな子なの?
 そう興味津々に尋ねられた三井君と仙道君が、揃って困ったように「えーっと」と言葉を濁す。
「どんな、って……」
 三井君が助けを求めるように仙道君を見た。
「いい人ですけど、遊ぶのは向かないと思いますよ。いまは多分、バスケ一筋だし」
 苦笑混じりの仙道君の回答に、三井君が「いまも、だろ」と混ぜ返す。
「じゃあ、藤真君は?」
 マリさんの質問に、今度は三井君が答えた。
「あー、アイツもなんだかんだ固いっつーか、一周回って面倒くさくなってるタイプ?」
「そうかも知んないですね。高校時代なんか、どこのアイドルだよって感じだったし」
「ガキの頃からずっとだぜ。アイツがいると、どこでもすぐ握手会場みてーになんの」
「牧さんのほうはあれですよね、年上のお姉さまが似合う感じっていうか」
「ああ、だなあ。中学ん時から高校生と付き合ってるとか、女子大生に逆ナンされたとか、わけわかんねー噂いっぱいあったし」
 と、まるで少女漫画の中の出来事のようなエピソードが出るわ出るわ。
 異次元のエピソードの数々に私がすっかり呆気に取られていると、どうやらマリさんも同じ気持ちになったらしい。「降参」と両手を上げて笑っている。
「なんか、私が思った以上に有名人みたいだね?」
「神奈川の双璧ですからねえ」
 仙道君がしみじみと答えた。
「顔だけじゃなく、ずば抜けて上手かったからな。ふたりとも」
 いまも上手いけど、と三井君。混ぜ返すように、仙道君が笑いながら言う。
「そうだけど――ていうか、でも、顔人気で言ったら一番は流川じゃないですか?」
 それを聞いた私は、まだこの上がいるのか、と思わず戦々恐々とした。
 握手会場とか年上に逆ナンとか、そんな漫画のキャラクターみたいなひとがふたりもいるうえに、更にその上をゆくイケメンがいるなんて。
 しかし、三井君の反応は微妙だった。
「いや、まあ、アイツはなあ……」
 否定はしないけど、肯定もしないという感じ。仙道君も、自分でその流川君とやらの名前を出しておいて「確かに中身はちょっとアレっすけど」とやや手厳しい。
「そうなんだよ」 
「まあそうなんですけど、それは置いといたとしても、すごかったですよね。親衛隊とか、ほんとにあるんだって思いましたもん、俺。漫画かよって」
 それには私も同意見だ。親衛隊って、なんだそれ。漫画どころの話じゃない。昭和の芸能界、あるいは世界史、そうじゃなきゃもはやファンタジーの世界の話だ。
「いや、漫画だよ実際。クソ生意気でちっとも可愛くねー後輩だったけど、あの顔であのプレイはふつーに反則。あれでもうちっと愛想がよけりゃ、今頃天下取ってたのにな」
 三井君も、思い出を噛みしめるようにうんうんと頷いている。
 褒めてるんだか貶してるんだか判別しづらいけど、辛うじて、若干褒めてるほうに天秤が傾いてるだろうか。
 と、そんな調子で流川君とやらのことを褒める三井君へ、仙道君が急に声を低くして言った。
「……ちょっと。そんな流川にいまだ負け知らずの俺にはなんかコメントねーの?」
「それ、絶対本人に言うなよ。嘘つくなってアメリカからすっ飛んでくるぞ」
 そう言って笑う三井君に、ぶう、とわざとらしく頬を膨らませた仙道君が「俺のことも褒めろー」と突っかかってゆく。
 三井君、本人がいないとこでは思いっきり褒めてたんだけどな。
 私がついこっそり吹き出すと、同じことを思ったらしいマリさんがにこにこと笑いながら言った。
「仙道クンって、三井クンの前だとそんな感じなんだね」
 意外、と笑うマリさんへ、仙道君が不思議そうに首を傾げる。
「そんな感じって、どんな感じですか?」
「こないだ飲んだ時よりよく喋るし、笑うし。ていうか仙道クン、年上好きでしょ?」
 急にそんなことを尋ねられ、仙道君がぱちぱちと目を瞬いた。
「え、はい。そうですけど、なんで分かったんですか?」
 かなりパーソナルな質問にも関わらず、けろりとした顔で答える仙道君。マリさんは「やった」と椅子のうえで跳ね、大喜びで続けた。
「なんか、雰囲気がさ。下からちやほやされるより、三井クンみたいに上からちょっと雑な感じで扱ってくれる人のほうが好きそうだなって思って」
 マリさんの分析を聞き、なぜか三井君のほうがぎょっとした顔をした。対する仙道君は「すごい」とにこにこ笑いながら手を叩いている。
「大正解。俺、昔から年下ってダメなんですよね。なんかプレッシャー感じちゃって」
「リードしなきゃ、みたいな?」
「そうそう。しなきゃいけないんだろうな、って思いつつ、でもそういうのって結構面倒臭いじゃないですか、ぶっちゃけ。デートの行き先考えたり、お店選んだり」
「女の子も、相手が年上だとやってもらって当然みたいに思っちゃうしね」
「それがなんか合わないっていうか、一方的にジャッジされる感じがちょっと嫌で」
「あー、いるいる、そういう子。プレゼントの値段とか、すぐ調べて言いふらすような子だ」
「そうそう。しかもそういう子に限って、あっちのほうから言い寄ってくるんですよね」
 モテる女とモテる男の会話を、へえそういうもんなんだ、と頷きながら聞いた。私のゼロに等しい恋愛経験では共感のしようもない。三井君はというと、うんざりとしたような顔をして仙道君を見下ろしていた。
「お前なあ……」
 そんな三井君に、仙道君がしたり顔で言った。
「でも、三井さんは年下好きだもんね」
 その言葉に、思わず「えっ」という声が漏れる。でも、三井君の耳には届かなかったようだ。私はほっと胸を撫でおろしながら、気配を消して会話に聞き耳を立てた。
「違ぇよ」
 三井君がうんざり顔のまま首を振る。そのことに、私は勝手に安堵のため息をこぼした。だから何ってわけじゃないし、勝算があがったとか、そんな身の程知らずなことはちっとも思ってないんだけど。
 仙道君はけれど、三井君の返答に納得しなかったようだ。
「だって、前の彼女もいまの相手も年下じゃん。意外と世話好きだし、リードするほうが好きだし、いろいろ計画立てたり準備したりするのもあんま苦じゃないでしょ?」
「あー……まあ、そうだけどさ」
「こないだ俺と大阪行ったときだって、全部三井さんがやってくれましたもんね」
「あれはお前がなんもしねーからだろ。行きゃあなんとかなるとか言ってよ……」
「なったじゃん」
「俺が全部やったからな、新幹線の切符から宿の予約から全部!」
 そう言って眉を吊り上げた三井君を、仙道君がにこにこ見上げる。
「でも、楽しかったでしょ?」
「そりゃ、お前はそうだろうよ。何から何まで据え膳でさ」
「えー、三井さんだってノリノリだったじゃんか」
 目の前ではテンポよく会話が続いているが、私は突然もたらされた事実に打ちのめされ、口を「え」の形に開いたまま呆然としていた。
 そっか、三井君彼女いるんだ。
 いや、そりゃそうだ。当たり前だ。三井君は、マリさんみたいな綺麗な人が、カッコいいねっていうくらいの男の子なのだから。
 万に一つも可能性がないなんて分かりきっていたのに、一丁前にショックなんか受けちゃってる自分がいて、それが自分のことながらちょっと可笑しかった。もしかして、なんて身の程知らずなことは思ってないってずっと自分に言い聞かせてきたけど、ほんとは、心のどこかではわずかな期待を捨てきれていなかったんだろう。
 でも、現実は厳しかった。
 分かりきってた。だから、傷付きたくなくて何もしなかったんじゃないか。
 打ちひしがれて呆然とする私に、マリさんがそっとアイコンタクトを送ってきた。長いまつげに縁取られたおおきな瞳が、どこか心配そうに私の顔色を伺っている。
 ああ、気付かれちゃってたか。
 そんな思いで苦笑を返すと、マリさんも困ったような笑顔を浮かべて、ちょいちょと私を手招いた。私は招かれるままふらふらと寄っていって、マリさんの口元へ耳を寄せる。ああ、いい匂い。美人の匂いだ。
「……不戦敗だね、私たち」
 え?
 私たち?
 黙ってぱちぱち瞬きをする私を、マリさんが励ますように叩く。
「この後飲み行こ。私、奢ったげる」
 私は、その言葉に小さく首を振った。
「……多分、同い年なんで。割り勘でいいです」 
 普段なら絶対にこんな雲の上の人の誘いになんか乗らないんだけど、いまはなんだか、無性に飲みたい気分だ。
「え、ほんと?」
 そう言って目を見開いたマリさんは、今日はじめて「やっぱり同い年だ」と思えるような、ちょっと幼い顔をしていた。そんな顔をしてもやっぱり美人だけど、でも、前よりはずっと身近に感じる。
 急に顔を見合わせてくすくす笑い出した私たちを、三井君と仙道君が不思議そうに見た。その後ろから店長の「三井、あがりでいいぞ」という声が聞こえ、そこでやっと全員が現実に引き戻される。
「――あ、マジか。もうそんな時間?」
 慌てた声でそう言う三井君に、仙道君が「そうですよ」と腕時計を見せた。三井君はいまにも額がぶつかりそうな距離でそれを覗き込む。
「マジだ」
 そう呟いてから、三井君が申し訳なさそうに私を見た。
「ごめん、アヤちゃん。俺、喋ってばっかで全然動いてねーな、今日」
 気遣ってくれるのは嬉しいけど、その気遣いの裏に透けて見える距離感が、ちょっと悲しい。この期に及んでそんなふうに思ってしまうのは、身の程知らずのわがままだろうか。
 私は込み上げるものを誤魔化すように首を振って「全然いいよ」と笑いながら言った。ほっとしたように微笑む三井君の顔を見ていられなくて、私は逃げるように散らかってもいないテーブル席へ向かう。A卓のお客さんは相変わらずふたりの世界に浸っていて、いまの私にはちょっと目に毒だ。C卓のお客さんはふたり揃ってテーブルへ突っ伏していて、もう少ししたら店長に起こしてもらわないといけないかも。
「送っていきますよ」
 手持ち無沙汰に空いたB卓のポップや箸立てを整えている私の後ろで、仙道君の声が言った。
 誰を送ってくんだろう、マリさんかな。いや、マリさんはこの後私の飲みに行くんだっけ。
 私がぼんやりそんなことを考えていると、なぜか三井君が「よせよ」と面倒くさそうに答えた。ぱっと振り返ると、マリさんも驚いた顔でふたりを見上げている。
 なんで?
 そんな私の疑問に答えてくれる人はいない。
「着替えくらい待ちますよ」
「だから、いいって」
「やだ。待たせて」
 そんなふうに駄々をこねる仙道君を、三井君が呆れたように、けれど私の勘違いでなければちょっと嬉しそうというか、照れくさそうな顔で睨んでいる。
 なんで?
 なにがなんでどうして?
 やっぱり私の疑問に答えてくれる人はいない。三井君本人だって、きっと答えてはくれないだろう。
 呆気に取られるまま、私は半分無意識のうちにレジへ向かっていた。そこへ仙道君がにこにこ笑いながら歩いてきて、私はまた無意識のうちに、ビールと洋風ポトフとしか書かれていない伝票を手に取る。ああ、なるほど。三井君のいる時間っていうか、三井君のあがる時間を狙ってきたんだ。いやあ、なるほどなあ。
 と、そんな閃きはどうでもよくて、いや、どうでもよくはないんだけど、仙道君が置いた二枚の千円札をレジへしまいながらお釣りの小銭を数えていると、なんだか本当にどうでもいい気がしてくるから不思議だった。人間びっくりしすぎると声も出ないというけれど、本当の本当にそのとおりだ。
 ゼロに等しい恋愛経験のうちのひとつがこれとは、私ってもしかして、恋とか愛とか全然向いてないのかもしれない。と、絶望と呼ぶにはまだちょっと現実味のない感情を持て余したまま、お釣りの六百五十円を仙道君へ差し出す。
「ごちそうさまでした」
 私の震える手からお釣りを受け取るのと同時に、仙道君がにっこりと笑いながら言った。すごく爽やかで、柔らかくて、自然な笑顔だ。私みたいなのにも別け隔てなくにこにこしてくれる、貴重なイケメン。小学生とか中学生のときにこういう男の子が同級生だったらよかったな、って心から思う。そしたら私だってもうちょっと明るい女の子になれたかも、って。
 でも、なあ。
 仙道君、多分、私の恋敵ってやつなんだよなあ。
 言葉にするとあまりにも現実味がなくて、しかも、まったく敵う気がしないのが辛いところだ。挑んだところでまるきり異種格闘技戦って感じで、どこをどう鍛えれば仙道君に勝てるほど強くなれるのかすら分からない。
「ありがとうございました……」
 私はまだ呆然としていたけど、体に染み付いた習慣の力は偉大だ。決まり文句と一緒にのろのろと頭をさげた私に、仙道君が上から苦笑の滲んだ声をかけた。
「あの」
「……はい」
「ごめんなさい」
 私がぱっと顔をあげると、仙道君はちょっとしょんぼりしたように眉を下げて苦笑いを浮かべている。
「あの、俺。やり過ぎたかなって」
「……はあ」
 思っても見なかった言葉に、客商売にあるまじき間の抜けた声が出た。
「俺が言うことじゃないけど、三井さんあれで結構猫被りだから。ほんとはすっごく口悪いし、態度も悪いし、素直じゃないし――」
 そうつらつらと三井君の悪いところをあげてゆく仙道君の顔を、私はぽかんと口を開けて見上げることしかできない。首が痛くなりそう。っていうか痛い。
 そんな私へ、仙道君が今日一番の笑顔を浮かべながらとどめのひと言。
「――だからあなたはもっといい人見つけて、その人と幸せになってくださいね」
 うわ。
 私は思わずそう呟き、あ然としながら仙道君の顔をまじまじ見た。
 これはマウントだ。
 純然たるマウントである。
 その辺のちょっと性格の悪い女の子にだってこんな露骨なマウントは取られたことないってくらいの、すごいマウントだ。それを、年下の男の子にされているというこの状況。
 びっくりしすぎて二の句も継げない私に、仙道君がさらなる追い打ちをかける。
「俺、こう見えて結構負けず嫌いなんで。……挑戦はいつでも受け付けてますけど、容赦はしないですよ」
 獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。
 仙道君の爽やかな笑顔を見上げながら、私の頭にはそんなことわざが浮かんでいた。仙道君の表情にはまったく悪びれたところがなく、ある意味では潔いというか、清々しくすらある。びっくりはしたけど、一周回って笑えてくるというか、憎めないというか。
 それは多分、仙道君のマウントが、無意識のものではなかったからだ。無意識下の悪意や自己顕示欲のようなものがうっかり表出してしまったがゆえのマウントではなく、仙道君は、意図的して私へ釘を差してきた。
 その事実に思い至った瞬間。
 私の胸に湧き上がったのは、喜びだった。
 自分でも、あまりのショックに頭がおかしくなったのかと思わないでもない。でも、だって、私みたいに綺麗でもければ可愛くもない女、仙道君にとったら取るに足らない雑魚もいいところなのに。三井君とは通っている大学も違えば共通の知り合いもいないし、顔を合わせるのはアルバイトの時間だけ。ふたりはどうやら高校時代からの知り合いみたいだけど、私は三井君の高校時代のことなんか全然知らない。バスケのルールだって知らない。運動音痴だから球技全般が苦手で、小学生の頃から体育はずっと大嫌いだった。地味だし、気も利かないし、個性的な趣味とかこだわりとか、そういう他人と違う尖った部分もない。特技は人より勉強が出来ることくらいのものだと思っていたけど、大学へ入ってからはその自信もすっかりへし折られていた。てことは、特技もない。
 なんにもない、つまらない女。それが私だ。
 それなのに仙道君は、あくまで同じ土俵に立つ相手として、私へ釘を差してきた。放っておいても勝手に逃げる私を捕まえて、彼のほうからわざわざ勝負の場を用意してくれた。
 やっぱり彼は、どこまでもフラットな人なのだ。
「……じゃあ私、諦めないです」
 私が震える声でそう呟いたのを聞いて、仙道君が頷く。
「はい。じゃあ俺も、受けて立ちます」
 そう言って微笑む仙道君の後ろから、三井君の「おーい」という声が聞こえてくる。着替え終わって、裏口から出てきたところだろう。店の外を回り、仙道君を探して表までわざわざ歩いてきたのだ。待たなくていいって言ってたのに、やっぱ、一緒に帰るんだな。
 出入り口の扉越しに見えた私服姿の三井君は、やっぱりすごくカッコよかった。地味過ぎず派手過ぎず、背伸びしてないっていうのかな。あんまり流行には興味なさそうなんだけど、でも無難すぎる感じでもなくて。そういうところが好きだなあ、と、私は改めて思った。
「いま行きまーす」
 扉の向こうの三井君へそう答えてから、仙道君は再び私のほうを見て「また来ますね」と微笑んだ。私が黙って頷くと、仙道君はゆったりとした仕草で扉の向こうへ消えてゆく。
 うわ、余裕あるなあ。ほんとに年下なのかな。
 私は半ば感心しながら、知らず知らずのうちに強張っていた肩の力を抜いた。ただでさえ立ち仕事は疲れるのに、今日はそこへ精神的な疲労まで加わって、背中までばきばきだ。
「――あーあ、はは」
 コリをほぐすために首を回していると、ついそんな声が漏れる。あーあ、ほんと疲れた。でも、なんだかちょっと清々しくもあって。泣きたい気持ちと同じくらい、いますぐ大声をあげて笑い出したいような、そんな気持ちもある。
 だって、諦めなくていいんだって。
 これまで私はずっと、いろいろなものを諦めて生きてきた。生まれついた顔とかスタイルとか、性格とか。そういうの全部、しょうがないって、こんなもんだって思いながら生きてきた。ひとつのしょうがないがまた別のしょうがないを生んで、そうやって無意識のうちに誰かや何かのせいにして勝手に諦めてきたものが、いっぱいある。
 でも、この気持ちは諦めなくていいんだ、って。
 そう思えただけでも、いまは無性に嬉しかった。諦めずにぶつかっていった結果ダメでも、それでも多分、勝手に諦めてしまうよりはずっといいのだ。三井君だって、一方的にうじうじ悩まれているより、きっぱりフラれてくれた方が気楽だろう。
 ぐっと背中を伸ばした拍子に、目尻から涙が一粒だけこぼれた。
 それを手の甲でごしごしときつく拭って、気合を入れ直すように頬を叩く。化粧なんかしてないも同然だから、アイメイクが崩れる心配がないのは不幸中の幸いだった。でも明日からは、もうちょっと早起きして頑張ってみようかな、なんて。
 そうだ。この後、マリさんに聞いてみよう。
 その思い付きは、私の心を期待でぱんぱんに膨らませた。声に出して言うんだ。私、可愛くなるの諦めるの、やめた。三井君を諦めるのもやめました、って。きっとマリさんは、私の何倍も頑張ってるはずだから。そう言って、教えてもらうんだ。仙道君に勝つための、その、努力の方法を。

2023.10.06