Light My Fire

 もともと、誰とでもすぐに親しくなれるタイプじゃない。大勢の人が集まるような場所も苦手だし、不特定多数からの注目を浴びたり、きゃあきゃあと追いかけ回されたりするのも苦手だ。ゴージャスで露出の多い女性も苦手。そんな俺がお偉方との顔合わせのために開かれたパーティーなんかに引きずり出されたら、ほとんどの時間を灰皿の前で過ごす羽目になるのは当然の流れだろう。はじめの数十分だけは主役らしい振る舞いをして、あとは顔見知りの役者仲間やスタッフ達と馬鹿話で盛り上がり、それからはずっと柱の影に隠れたミニカウンターで煙草を吸いながらスコッチを舐めている。
 人気コミックの象徴的なヒーロー役、しかも前代未聞の巨大プロジェクト、その中核を担う役柄。さんざん悩んで引き受けることを決めたはずなのに、いまになってもすこしだけ乗りきれないでいる自分がいた。本格的な撮影はまだだから現実味も無いし、自分に務まるのかという不安もある。成功しようがしまいが、今後のキャリアにだって間違いなく影響する。
 漠然とした不安と苛立ちを誤魔化すように、煙草の空箱を握りつぶした。すぐ次の箱のフィルムを引っ掻き、それがなかなか剥がれないことにまた苛立つ。我ながら、嫌になるほど余裕がない。こんな姿は誰にも見せられないな、と内心で忌々しく思ったところだった。
「――服、煙草臭くなるよ」
 背後からだったので、声の主が誰だかすぐには分からなかった。咄嗟にとり繕った笑顔で振り返り、すこし驚く。
「……やあ、セバスチャン」
「やあ、クリス。……ここ、静かでいいね」
 座っても? と問われ、一瞬ためらってから頷いた。顔合わせは済ませてあるから、知らない間柄じゃない。でも、台本の中の二人ほどには親しくない。
「君の服も臭くなるぜ」
 つい皮肉っぽい言い方をしてしまった俺に、セバスチャンは静かに笑って首を振った。
「いいさ、べつに嫌いじゃない」
「……そう」
 彼の控えめな笑顔は、俺の荒んだ気持ちをほんのすこしだけ慰めてくれた。すくなくとも彼は、俺をノリが悪いとか陰気だとか気難しいとか詰りに来たわけではないと分かったからだ。
「セバスチャン、君も逃げてきたのか?」
 俺の苦笑混じりの問いに困ったようすで目尻を下げたセバスチャンは、それから休符を三拍分くらい挟んで、何か重大な決意表明でもするみたいな顔で口を開いた。
「――セブ、って呼んでよ」
「……え?」
「名前。長いし、言いにくいだろ」
 言い訳がましく続けるセバスチャン――セブの姿を見て、俺はついつい吹き出してしまった。
「おいおい、それ、顔合わせのときに言ってくれよ!」
「だって君、あのとき全然口を利いてくれなかったじゃないか! 俺、何か気に障ることでも言ったんじゃないかってずっと気になってて……」
 実のところ、俺も全く同じことを考えていたのだった。俺が何かとんでもなく無神経なことを言ったか、もしくは、とんでもなくシャイな男なのか。後者ならまだマシだな、なんて失礼なことを延々と考えていた。なんだ、彼も同じだったのか。
「……俺たち、結構似た者同士だったりする?」
 俺の言葉に、セブが拗ねたように唇を尖らせた。
「なんだよ、お互い様とでも言いたいのか?」
「まあ、そんなとこかな」
 軽くジョークめかして返すと、セブの顔にもようやく笑顔が戻る。俺もほっとして、忘れかけていた煙草の箱に手を伸ばした。
「セブは吸うの?」
「いや、ちょっと前にやめた」
「――おっと、じゃあ吸わないほうがいいか」
「よせよ、嫌いじゃないって言ったろ?」
 もう忘れたのか、とわざとらしく嘆いてみせたセブが、俺の飲みかけのスコッチを掠め取ってこれ見よがしに呷った。やったな、と空のグラスを取り返し、キープしていたボトルを逆さにする。
 そうしてしばらく一つのグラスを共有していると、二本目のボトルが軽くなりだしたころにはもう、はじめの頃の気まずさが嘘のように彼と打ち解けていた。
「――へえ、じゃあまだルーマニア語も話せる?」
「一応ね。難しい話は無理だけど」
 恥ずかしい話、俺は彼がルーマニアの生まれなんだってことも知らなかった。若者向けの恋愛ドラマでブレイクして、女の子にめちゃくちゃ人気があって、共演者キラーのエキゾチックなハンサム。パパラッチが書きたてる情報の表面だけをなぞれば、ちょっと軽くてパーティー好きな色男って感じのイメージができあがる。
「苦労してきたんだな。……って、君はそんなこと言われたくないだろうけど」
 たくさんの家族に囲まれて育った俺には、彼の味わってきた寂しさや苦労を想像はできても、自分のことのように実感するのは難しかった。これから演じるキャプテン・アメリカ――スティーブ・ロジャースもアイルランド系移民で、幼い頃に父を亡くしている。時代は違えど似た境遇で育った彼の目に、俺の演じるスティーブはどう映るだろうか。
「……そうでもない、って言ったら嘘だけどさ。でも、今じゃこうしてあのクリス・エヴァンスと酒を飲んでる」
 セブは真面目な顔をしたまま馬鹿げたことを言い、その大きな両目で俺の顔をまじまじと見た。つくづく不思議な男だな、と思う。意図的にそうしているのか、大勢の中にいるときの彼はびっくりするほど気配がない。けれどこうして向かい合うと、否応なしに目を奪われる独特な何かがある。
「――お世辞はよせって。誉めても何も出ないぜ」
 生じてしまった奇妙な間を誤魔化すように笑って、新しい煙草に火をつけた。一度ふかしてから肺まできつく吸い込み、ひといきに吐き出す。それを黙って見ていたセブが無言の時間を埋めるように笑い、それからいたずらっぽく言った。
「バレたか、俺の処世術」
「なんだよそれ」
 正直言ってあまりそういうことを考えて生きているタイプには見えなかったから、俺はその言葉をジョークとして受け止めた。けれどセブはとっくに真面目な顔に戻っていて、頬杖をつきながら俺をじっと見つめている。
「言葉通りさ。余所者ってのはいつだって大変なんだ」
「……へえ」
 言葉を返しあぐねた俺を見たセブが、わざとっぽい上目遣いで俺を見上げた。
「みんな、俺のことをシャイで大人しい奴だと思ってる」
 俺も、今日まではそう思っていた。シャイで、大人しくて、何を考えているのか分からない男。そんな男とうまくやっていけるのか、それも悩みの種だった。俺の曖昧な表情を読んだセブが「まあ、それも間違っちゃいないけどね」と笑う。
「シャイで大人しいやつのフリして、ちょっと離れたところからみんなを見てるとさ、ああ、この人はこういう時こんなふうに振る舞うんだな、っていうのがなんとなく分かってくる。たとえば――」
「クリス・エヴァンスはパーティーが苦手、とか?」
「そう」
 苦り切った顔で混ぜ返した俺を鼻で笑い、セブが続けた。
「それが分かれば、どんなふうに振る舞えば気に入ってもらえるかも分かる。――簡単さ」
 逃げるようにグラスを見たその横顔に、ほんのすこし自嘲めいた色が混じる。俺はそれを見逃さなかった。
「……それでも、気に入ってもらえたんならいいじゃないか。それも君の実力だろ」
 励ましのつもりだった。それの何がいけないのか俺にはさっぱり分からないし、いつも馬鹿正直にしか振る舞えないよりはよっぽどいい。――俺みたいに。
「そんなふうに思えたら、人生楽しいだろうな」
 彼らしからぬ、ずいぶんと棘のある言い方だった。どうしたんだよ、君らしくないな――そう言いかけて、そんなことを言えるほどの仲ではないことを思い出す。その事実に少なからずショックを受けた俺は、大人げなく皮肉めいた口調で言い返した。まだ長い煙草を乱暴に揉み消し、次の一本に火を着ける。
「そうでもない。これでも結構悩み多き人生でね」
 きっとまた、鼻で笑われるだろうと思っていた。彼に比べて恵まれた人生を送ってきた自覚は一応ある。罰の悪さを誤魔化すようにフィルターを噛みながら、横目で伺うように隣を見た。まさかその顔が、純粋な驚きに固まっているとは思わなくて。
「……一体君が何を悩むっていうんだ?」
 その言い方があんまり真剣だったので、俺は怒る前に笑ってしまった。教えてくれ、セバスチャン・スタンの中でクリス・エヴァンスは一体どういう人間にカテゴライズされているんだ。
「……あのなあ、誰にだって悩みくらいあるだろ」
「でも、君っていかにも自信たっぷりって感じだ」
 事実何もかも完璧だし、とセブが恨めしげに言う。思ってもみない言葉だった。
「俺は完璧じゃない。……自信だってないし」
 だからこんなところでひとり煙草を吸っているのだ。もし俺が本当に完璧で自信に満ち溢れた男だったなら、今頃人波の真ん中で鼻高々に演技論でも語っているころだろう。
「……そっか」
「そうだよ」
 途方に暮れた顔で呟いたセブの背中を叩き、励ますように笑いかけた。今度こそ俺の下手くそな励ましが成功しますように、と祈りながら。
「……無い物ねだりってやつだったのかな」
 セブはそう言って苦い顔で笑い、グラスの底に僅かだけ残っていたスコッチを飲み干した。グラスが空になると、セブの顔はさっきまでの憂鬱が嘘のようにあっけらかんと笑っていて、そのとき、俺は彼の顔がとても美しいのだと気が付いてしまった。この業界で働いているんだから、ちょっとくらいの綺麗な顔なら見慣れている。それでも一瞬呼吸を忘れるくらい、彼の横顔は美しかった。俺がスティーブ・ロジャースなら、きっとこの顔を飽きるほどスケッチしたに違いない。
その横顔の主が不意にこちらを見たので、俺の心臓は跳び跳ねるように脈を打った。
「――ねえ、俺にも一本ちょうだいよ」
 俺が我に帰るよりさきに、セブのつるりとした指先が口元を掠める。止める間もなかった。
「これで我慢するから、ね?」
 歪に噛み潰されたフィルターがセブの白い前歯のあいだに置かれ、真っ赤な唇が吸い付く。旨そうに煙を肺へ送り、笑みの形をした唇から細く煙が昇る。俺はそれを、ただ呆然と見つめることしか出来なかった。これも彼の処世術なのだとしたら、俺はまんまと術中に嵌まった哀れなカモだ。

END