いつの間にか、ママチャリの荷台が彼の特等席になっていた。
一度聞いてみたことがある。自転車持ってないんすか、と、そう首を傾げた流川に、そのときの三井は人の悪い笑顔を浮かべ「だりーだろ」とだけ言ったのだった。
「どっか寄るスか?」
緩やかな坂道を惰性で下りながら、背中の三井に向かって尋ねる。三井は大声で「ファミレス」と怒鳴り返した。
「オムライス食いてえ」
「ラーメンは?」
「あんじゃねえの。ファミレスだし」
「なにそれ」
適当、と抗議すると、三井は流川の肩甲骨に額を擦りつけながら「うるせー、知るか」と横暴に言った。
そのまま緩やかに坂を下り続け、行きつけのファミレスに入って、三井はオムライスを、流川はしょうゆラーメンと炒飯を食べた。店が赤字になるのではと思うくらいドリンクバーで粘り、桜木のリハビリについてや宮城の練習方針について取り留めのない議論を交わし、外が暗くなりだしてからやっと帰路につく。
三井を駅まで送り届ける途中、ちいさな公園の前で自転車を止めた。
「喉渇いたっス」
「ああ?」
「ポカリ飲みてー」
「わがまま言うな」
そうぶつくさ言いながら、三井はきちんとポカリを買ってくれた。すると「さよなら」の時間まで、ほんの少しだけ猶予が生まれる。
「なあ、お前んチャリさ、二台あるよな」
「うん」
「ロードバイクっつうの? あれって結構高いんか?」
「そこそこ」
流川はポカリ、三井は麦茶を飲みながら、止めた自転車の両脇に立ち、ファミレスの話題の延長線上にあるような、そうでもないような事柄をぽつりぽつりと喋った。
「――お前がいつかアメリカ行くとき、さ」
と、三井が不意に言った。あとから思い返しても、なぜそんな話になったのか、それだけはどうしても思い出せずにいる。
「このチャリ、俺にくれよ」
「……なんで」
「いいだろ、別に」
三井は拗ねたような顔をしてそう答え、その話題はそれきりだった。
そんなことを、流川はいま太平洋のうえを飛ぶ飛行機の機内で思い出している。
流川が高校生の頃に乗っていたママチャリは、あのあとほんとうに三井の物になった。あげたのではなくて、盗まれたのだ。これ借りるぜ、と言われて、それっきり。流川のアメリカ行きが正式に決まり、その報告のために三井と数年ぶりに再会したある日のことだ。
最後に三井と会ったあの日、彼は切りすぎた前髪を気にして、終始不機嫌そうなしかめ面だった。真夏の昼下り、いつかふたりでポカリと麦茶を飲んだ公園での出来事である。おかげで彼を思い出すとき、脳裏に浮かぶのはいつもあの短すぎる前髪と、不機嫌そうなしかめ面だった。
日本に戻ったら、まず真っ先にあの自転車泥棒を糾弾しなければならない。
そう心に誓って、ゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏に浮かんだのは、やっぱり、あの不機嫌そうなしかめ面だった。
2020.08.27