青春の後姿/洋三

ツイッターで呟いた「セコカン三井さんと足場屋洋平くん」な社会人パロ

 現場に職人用の自動販売機が導入されるという話が朝の点呼でされ、さすがデカい現場は違うなあと、そんなことをぼんやり考えながら煙草を吸っていた。
「洋平、それ吸い終わったら資材置き場に車回しといてくんねぇか」
「うす」
「チェックリスト忘れんなよ」
「うす」
 頼んだぞ、と年上の職人が言うのを聞き流しながら、缶コーヒーのプルタブをあげる。開け放たれたワゴン車の後部ドアに背中を預け、青空に滲んでいく煙を見上げながらおおきく息を吐いた。
 今日は橋脚の補修工事、明日はビルの解体現場、明後日は先週組んだ新築マンションの足場撤去。毎日毎日なにかが壊れ、生まれ、補修されては壊れ、その繰り返しだ。
「――洋平、明日の入り時間聞いたか?」
 ワゴンの中からかけられた声に「七時っす」と答え、咥えていた煙草をふかす。
「はえーなぁ」
「点呼は八時っすよ」
「あー、新規入場者教育あんだっけ?」
「そうっすね」
 だりー、と呟く声をまた聞き流しながら、肺に入れた煙をぷかりと吐き出す。
「……あ、そういや聞いたか? ここの監督、一昨日飛んだらしいぜ」
「まじすか」
「若かったもんなあ」
「そうっすね」
「ほら、あれ引き継ぎだろ。……あーあ、また若ぇのが来たなあ」
 そう言って指差された先には、ワイシャツのうえに作業服を羽織った若い男の姿があった。行儀よく被ったヘルメットがいかにも板についていない。
 御愁傷様、と他人事のように思いながら、缶コーヒーを傾ける。実際他人事だ。水戸はいわゆる足場屋だから、足場さえ組んでしまえば撤去まではこの現場ともおさらばである。
「お、こっち来た」
 その声に、興味よりも面倒な気分が勝った。最近ではこうした現場でも喫煙者の肩身が狭くなってきていて、基本的には車内での喫煙が義務付けられていることが多い。吸いさしの煙草を靴底に押し付けながら、ニッカボッカのポケットに手をつっこんで携帯灰皿を探した。
「――お疲れ様です」
 不可抗力的に下げた頭のうえを、よく通る低い声が通り過ぎてゆく。
 その瞬間、あれ、と思った。
「……お前」
 水戸、と懐かしい声が自分の名前を呼ぶ。
「……三井さん、っすか?」
 ゆっくりと顔をあげながら、ノリのきいた作業服をまじまじと見た。そこには確かに「三井寿」という縫い取りがある。
「え、マジで水戸? なんでお前、ここに……」
「いや、それこっちのセリフ」
「嘘だろ、懐かしいなオイ」
 三井はそう言うと、おおきな手のひらで水戸の肩を強かに叩いた。
「洋平、知り合い?」
 ワゴンの中から怪訝そうに問われ、三井が代わりに「高校の先輩後輩なんですよ」と答える。
「俺の部活の後輩のダチだったんです。――あ、挨拶がまだだったな」
 三井は照れ臭そうに言うと、改まって先任の現場監督の不義理を侘び、自分がその後任であることを手短に告げた。
「そういうわけで、よろしくお願いします」
 そう言って下げられた頭に、おお、このひと社会人だ、と奇妙な感動をおぼえる。水戸が余計なことを言わなければ、誰も三井がかつて手を付けられないような不良だったなどとは夢にも思わないだろう。もちろん、言うつもりはこれっぽっちもないが。
 機敏な動作で顔をあげた三井は、ほんの僅かな時間、目を瞬きながらじっと水戸の顔を見つめた。口止めでもされるのか、と内心興味深く思っていると、三井はふっと破顔し、握った拳でこつんと水戸の胸元をつついて言った。
「似合ってんな、お前」
「……三井さんは、あんま似合ってないね」
「るせー、どうせまだペーペーだよ」
「はは。ペーペーなんだ?」
「そりゃあな。新卒二年目だしよ」
 そっか、と頷きながら、彼が大学進学を決めたときのことを思い出していた。
 高校一年の夏前に道を踏み外し、やっと正道に戻ってきたのが高校三年の春過ぎだ。そこからすべてをバスケットボールに賭け、インターハイ、国体、ウィンターカップと、文字通り全身全霊を懸けて走り抜き、とうとうもぎ取った大学推薦を、湘北高校バスケ部の連中はまるで神の起こし給うた奇跡のように語り継いだ。水戸も、あれは奇跡だといまだに思う。
 あれから、もう六年の月日が経った。
 高校卒業後すぐいまの会社に就職した水戸は、社会人になってもう四年目になる。
「じゃ、俺のほうが先輩になっちゃったね」
 水戸が冗談めかして言うと、三井は「うわ、マジか」と笑い、妙に畏まった顔をつくって「ご指導ゴベンタツのほどよろしくお願いシマス」と片言で言い、ニヤリと笑った。
「また心にもねーこと言って」
「いやあ、思ってますって。心から」
「嘘つけ」
「相変わらず厳しーのな」
「そう?」
 と、そんな世間話を重ねているうちに、遠くから三井を呼ぶ声がかかる。
「――やべ、もう行くわ。またな」
「うん」
「あ、お前次の現場入りいつ?」
「月末だったかな。順調に行けばだけど」
「おう。りょーかい」
 三井は頷くと、念を押すようにもう一度「またな」と言って足早に去っていった。
 その後ろ姿を苦笑混じりに見送っていると、ワゴンの中から驚いたような感心したような、しみじみとした声が聞こえてくる。
「……部活の後輩のダチ、なんて言うから顔見知り程度かと思ったけど、けっこー仲良かったんだな」
「仲、良く見えました?」
「見えたけど」
「あー、あのひと結構目立つし、おもしれーひとだったんで、よく絡んでたんすよ」
「ふうん。根性ありそう?」
 その問いに、水戸は思わず吹き出すようにして笑った。
「――そりゃあもう」
 めちゃくちゃっすよ。
 そう答えながら、懐かしい景色を脳裏に思い描く。
 蒸し暑い真夏の体育館で、何百本も繰り返し繰り返しシュートを放つ姿。見ているこちらが心配になるような足取りで、それでも必死にボールへ食らいつく執念じみた姿。腕をあげるのもやっとというような顔で、けれど味方からパスが通れば機械のような正確さでボールをリングに放り込む姿。
 喧嘩なんかこれっぽっちも強くないのに、水戸がいくら殴っても立ち上がろうとした、あの鬼気迫る姿。
 どの姿も、いまだにはっきりと思い出せるくらいには、記憶に残っている。
「……洋平、お前、よかったなあ」
「なにがっすか」
「いや、なんとなく」
「はあ」
 首を傾げながら、温んだコーヒーを一気に飲み干した。そして、遠くにぽつんと見える三井の後ろ姿を眺める。
 ――またな、だとさ。
 そう呟いて、頭をかいた。
 ――なんだってあのひとは、いつでもどこでも妙に眩しく見えるんかね。
 と、そう尋ねても答えてくれる人間などいないのだけれど、思わずそう呟かずにはいられない水戸なのだった。

2020.08.23

8月 23, 2020